毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

毒親育ちはツライが言えない。

こんばんは。

たまこです。

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↑心が、凍えていませんか。

 

大学を卒業して最初に勤めた会社の先輩男性社員から、こんな言葉をかけられました。

 

「おまえは、ツライが言えないんだよな。」

 

飲み会の帰りでした。

どんな流れでそう言われたのかは覚えていません。

自覚していなかった自分の一面を、

見ていてくれたような気がしました。

ちょっとぐっときました。

 

当時の私は、まだ毒親に気づいていませんでした。

自分がどのように感じているかに、無関心でした。

ないがしろにしていました。

感じたままに動けない人間でした。

 

営業ウーマンとしての成績は悪くはなく、

それなりに順調な社会人生活でした。

営業セクションでは、ひとりひとりがいくら稼がなければならないか、

標数字が決まっています。

根拠なく、前年比2割アップが当たり前でしたので、簡単に達成できる数字ではありません。

目前の既存顧客からの引き合いをひたすらこなし、

一方で新商品の提案営業を続けることで、

なんとか数字を達成していました。

日々、金融商品の勉強に追われました。

でも、お客様とのコミュニケーションは楽しく、

実際、そこまでつらいとは感じていませんでした。

体力的にはかなりの疲労感がありました。

残業しているとビル内の廊下の電気が消え、

帰る時には暗がりで手探りでエレベータのボタンを押さなければなりませんでした。

疲れてはいましたが、つらいと口にしたことはありません。

まだ若く、体力もあったからでしょう。

どんなにキツくても、睡眠時間を削り、体に鞭打って案件をこなしました。

つらいという感覚が麻痺していたのです。

もう少し、どのように感じているかに関心を向けていたなら、

違った人生になっていたかもしれません。

当時の職場には感謝していますし、大好きな仲間と仕事でした。

だからこそもっと、

仕事のやり方を工夫したり、

周りの人たちとの接し方を変えたり

できたかもしれません。

より良くすることができたかもしれません。

 

つらいという感覚がなぜ麻痺していたのか。

それは、子供の頃からつらいことが日常茶飯事だったからです。

日常がつらい状況にあると、つらいことが起きても、つらいと感じなくなるのです。

それが普通であり、珍しくないからです。

線路沿いに住んでいる人は、電車の音がうるさいとは感じません。

一方、静かな山間の町から引越し、

初めて都会の線路沿いに住む人は、

なんとにぎやかなんだと感じるでしょう。

このように、日常の環境によって、

感じ方がこんなにも変わってくるというのは、

驚きの事実です。

環境がどれほど大切であるかが身に沁みます。

 

毒親からの呪縛の言葉を毎日聴かされて過ごす環境が、どれほど悪影響であるか、

想像に難くありません。

毒親だと気づいたら、一日も早く距離をおくことです。

距離をおきたくとも、そうできなかった毒親育ちの苦悩は、想像を絶します。

苦しい日々があたりまえになり、苦しいと気づけないからです。

 

言葉にできず、凍えたままで、人前ではやさしく生きていた

 

秦基博さんのrainという曲の冒頭の歌詞です。

毒親育ちはまさに、言葉にできず、凍えているのです。

凍えたまま、人前では凍えているなんてかけらも見せずに、

やさしくふるまって生きているのです。

寒いと感じている自分に気づいてあげよう。

寒いよ、と言っていいのです。

 

毒親育ちの悩みは、同じ体験をしている者同志でなければ、

なかなか相談しにくい性質のものです。

体験がなければ理解しにくい、異常なことだからです。

笑いの絶えない暖かな家庭に育った人には、ありえないことだからです。

幸い現代は、TwitterなどのSNSで、

感じたことをつぶやくことができます。

すると、同じ体験のある仲間がつながっていきます。

これは本当にありがたい助け舟です。

 

今週はだいぶん季節が進みました。

寒くありませんか。

今、何に気づいていますか。

何を感じていますか。

つらく、ないですか。

 

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