こんばんは。
たまこです。
私たちは、様々なことを連続して気づいています。
たとえば、今私はリビングのテーブルで、スマホでこの文章を書いていますが、
自分の親指が動いているな、
爪にはシルバーのマニュキュアが塗ってあるな、
後ろのキッチンで煮物のグツグツいう音がしているな、
空気清浄器が威勢よく動き出したな、
テーブルの上の電気がついているな、
左前に娘が食べかけのお饅頭が置いてあるな、
1階で、娘と主人が何か話しているな、
扇風機の風が左の首筋にあたったな、
など、連続して様々なことに気づいています。
何も気づきがないという瞬間は、恐らくないのです。
そんな気づきの連続の中に、自分の感情に関する気づきが含まれます。
例えば、
1階の話し声が、どんな話をしているのか気になっているな、
ちょっと胃の辺りが重い感覚があるのは、愛犬が体調を崩しているのが心配だからだな、
夕飯の準備が面倒に感じているな、
それは、娘たちが外食してきたから自分だけなら簡単に済ませたいのだな、
など。
これは、ちょっと頭で考えている気づきです。
皆さんは今、どんな感情に気づいていますか。
数年前に父が他界した際、母は涙一つ見せませんでした。
親族から、「お母さんは悲しくないのかしら」と言われたことを鮮明に覚えています。
普段と変わらぬ様子で、淡々と葬儀に出席していました。
10年以上ぶりに会う私にも、
「あら、来てたの」と、頻繁に顔を合わせている友人にでも会ったような感じです。
ここからは推察ですが、母は恐らく、自分の感情がわからない人です。
だから、心から感じていることを夫である父にもあまり話すことができなかったのではないかと。
心の通い合う会話が無かったのではないか。
夫がいなくなっても実感がないのは、心を通い合わせていなかったからではないかと。
物理的に、いつもいた人が居ない。
その点では少しは寂しいと感じていたかもしれません。
しかし心の交流をしていた身近な人が突然いなくなる衝撃は計り知れません。
私は学生時代、お付き合いしていた人の浮気疑惑で眠れなくなり、息苦しく、夜は天井や壁が自分に迫ってきた経験があります。
食欲はなく、食事を並べられても食べることができません。
なんとか口の中に押し込み、飲み込むのは、苦痛でしかありませんでした。
その時、もう2度と、親しい人を失う衝撃を味わいたくないと感じました。
母には、そんな衝撃がなかったのか。
または、衝撃が大き過ぎておかしくなってしまったのか。
真実は確かめようもありません。
あなたは今、どんな感情に気づいていますか。
このブログでは、何度も言っていますが、
どう感じているかを、大事にしてください。
感じていることを、気心知れた周りの人に、言葉で伝えてください。
親しい人との会話は、湧いてきた感情をシェアし合うことで盛り上がります。
それが、会話の醍醐味です。
湧いてくる感情がなければ、発言したい、伝えたいなどと思わないでしょう。
ですから、感情が湧くというのは、とても大事なことです。
感じたことを言葉にすること、
伝える相手がいなければ、それを書いてみること、
自分でその感情を受け止めてあげること、
なんでもない簡単なことのようで、
毒親育ちにはとても難しいのです。
だって、感情を押し殺して生きてきた時代が、少なからずあったでしょう。
健康にも良いわけがありません。
少しずつ、ほんの少しずつで良いのです。
感情の健康を、取り戻しましょう。
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