こんにちは。
たまこです。
頑張ろうは好きに負ける。
21歳の友人の言葉です。
確かにその通り。
がんばってやっていることより、
好きで自然にやっていることの方がうまくいきますね。
世の中の成功者をみていると、みんな楽しそうです。
好きなことを極めていることが多いからなんでしょう。
若くしてこのことに気づいているなんて、羨ましい限りです。
人それぞれ、極めるべき好きなことがあるのだと思います。
好きなことが早くにみつかった方が、時間的ゆとりをもって極めることができます。
好きなことを本人が楽しむ時間をたっぷりとることができます。
毒親育ちの私は、子供時代、好きなことがほぼできませんでした。
躾と称して、あらゆることを制限、監視されていたからです。
好きな装いをする、
好きな髪型をする、
好きな遊びをする、
好きなテレビを見る、
好きな漫画を読む、
好きな歌手を追いかける、
好きな友達と遊んだりお祭りに行ったりファストフードを食べる、
好きな文房具や服を買う、
好きな話をする、
どれもできなかったことです。
おこづかいが少なかったことも背景にあります。
他の友達のように、一緒に服や小物を買い物に行くことは、高校生になってもできませんでした。
唯一、小学校1年生の時、ピアノの上手な友人に魅せられて
ピアノを習いたいと申し出たときのみ、許可されました。
ひとつでも叶ったことがあったのですから、それで十分なのかもしれません。
ピアノを習うことができたのは、やはりうれしかったです。
しかし、ピアニストになるほど極めたいものではありませんでした。
指が動いて一通り曲が弾けるようになると、
それ以上どのように極めたらよいのか、当時の私にはわからなかったのです。
高校3年生まで習って、一度は音大に行くことも考えたのですが、
音楽の道は断念しました。
好きなことがほぼできないこども時代を過ごすと、
自分は何が好きなのか、全くわからなくなります。
勉強もそれ以外のことも、すべて頭で考えてがんばってすることでした。
その状態は、社会人になってもしばらく続きました。
会社員時代、夏季休暇取得促進のために会社が補助金を出してくれる制度を利用して、
友人と5つ星ホテルに泊まりにいきました。
ところが、楽しめないのです。
こういう時はどうやって楽しむのかを、頭で考えなければならなかったからです。
プールに行って泳ぎ、ジムで汗を流し、ジャグジーやサウナを楽しみ、
エステをして、美味しい食事を食べ、友人とおしゃべりに興じるのがきっと普通なんだろう、必死で、そう考えました。
本当にそのように行動して、楽しい振りをしたものです。
すべてが演技なのです。
したいことを自然にしているのではないのです。
今なら、存分に楽しむ自信がありますが、当時は本当にきつかったです。
今で言う、鬱に近い状態だったと推察します。
何が極めるべき好きなことなのか、すぐにはみつからないこともあります。
様々な体験をしてみて、初めて巡り合えるのです。
ですから、子供時代は、あらゆる体験をして、巡り合える確率を高めることが理想です。
好きなことなら、頑張らなくても自然にやってしまいます。
自然に極めたくなります。
好きな芸能人の追っかけでも、好きな漫画のコスプレでも、何でもいいのです。
やってみたいことをどんどんやって、本当に極めたい好きなことに、早く巡り合うことが重要です。
子供時代に好きなことをやっていないというのは、やってきた人に比べて、
大きなハンディを背負っています。
好きに行動する自由がなかったからです。
好きなものを選択する自由がなかったからです。
好きなことを追求する体験をしていないからです。
でも、今からでいいのです。
キャッチアップしようじゃないですか。
常に、今どう感じているのか、自分と対話してください。
感じていることを書き出すのも効果的です。
感じていることに従って、本当にしたいことだけをすることから訓練です。
これまで、そんな風にしたことがないでしょう?
私は今日、家族が出かけてしまい、ひとりで夕飯を食べなければなりませんでした。
私は今、どう感じているのか。
うーん、ひとりで食べるのはイヤだなと感じている。
そして、ウナギが食べたいな。
ということで、近所のウナギ屋さんにひとりで行きましたよ。
お店の人や他のお客さんがいる空間の方が、今日の私には居心地が良いのです。
やりたいことをしたぞ、という満足感があります。
こんな小さなことの積み重ねが、自分を取り戻すプロセスです。
頑張らない生き方、しましょ。
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