こんばんは。
たまこです。
小学生、中学生の時代は、とにかくよく母に叱られました。
叱られた原因が何だったかは、あまり思い出せません。
学校の帰りに買い食いをしたとか、
友達と立ち話をしていてなかなか帰ってこないとか、
そのようなことで叱られました。
母は、何日も同じことを繰り返し言い続けます。
耳にタコができるどころではありません。
耳栓をしなければ、ここにはいられないと思いました。
耳栓が欲しいと本気で思いました。
頭がおかしくなりそうでした。
叱られるのはたいてい学校から帰った後の時間です。
台所で夕食の準備をしながら叱られる時の憂鬱なことといったら…。
まな板で食材を刻みながら、振り向いて、怖い顔で小言を言う時、
振り向く母のからだと一緒に右手に持った包丁も私の方を向きます。
「いい加減にしなさい」
体の中から沸き起こる怒りをその包丁に込めるように、
右手でぎゅっと握った包丁が、言葉に合わせて小刻みに上下に揺れます。
この人は、心底怒っている、そう感じました。
怒りの塊です。
怒り心頭とはこういうことかと思いました。
怖いし、危ない。
しかし不思議と、刺されるとは思いませんでした。
母の怒りは、本当は私ではなく、自分に向けられていたのではないか。
その光景を思い返すと、そんな気がします。
なぜなら、母は何かに苦しんでいたように見えたからです。
いつも吐き気がしていて、こみ上げそうになっていたからです。
娘にどんなに腹が立ったとしても、包丁を向けて叱るなんて、私にはできません。
誰かに刃物の先を向けるなんて、絶対にできません。
その感覚がわからないのです。
怒りが大きすぎて、やり場がないからなのか。
無理やりいうことを聞かせるためなのか。
なんだか、最近の通り魔事件の犯人と同じ心持ではないか。
恥ずかしい。
悲しい。
娘に包丁を向けてしまうほどの怒りとは、何だったのか。
苦しくても、その怒りと向き合い、対話してほしかった。
怒りの正体を暴いてほしかった。
私がとてつもなく長い時間をかけて、自分の問題と向き合い、解き放たれたように、
母にもしてほしかった。
親子連鎖を、断ち切ってほしかった。
本当はどう感じているのか、気づいてほしかった。
真顔で、子供に包丁を向けて叱るお母さんがいらしたら、
安心安全な場を用意して、話を聞いてあげてください。
そこでは、何を言っても、何が起こっても、秘密が約束されています。
本当は何を感じているか、聞いてあげてください。
ひとりではどうにもできずにいる、やり場のない悲しみ、苦しみを、
分かち合ってあげてください。
私の母もそうですが、そういうお母さんに限って、友達がいません。
自分の問題に向き合おうとしていないから、友達ができません。
本当はそういう人ほど、何もかも曝け出して語り合える友達が必要なのに。
語り合える友達がいれば、問題に向き合う気持ちが湧いてくる可能性があります。
そうなってほしいのです。
醜い自分も曝け出して、感じていることを話せる友人が、
どんな人の人生にも、必要です。
あなたは、そんな友人がいますか。
そんな友人に、なっていますか。
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