毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

勝手にやめさせるなよ!

こんにちは。

たまこです。

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全員分ないメダルまでもらったのに辞めるわけ?

中学校1年生の時、バスケットボール部に入りました。

振り返ると、どうしてキツイ運動部に入ったのか、覚えていません。

この頃は、自分がどう感じているのか、何をしたいのか、全く感じられない子供でした。

だから、入りたくて入った、というより、精神的に苦しい毎日をなんとかしたくて、

バスケット部に多かった自分とは異なるタイプの友人とうまくやって、学校が楽しくなるように、

苦しさから少しでも逃れられるように、

誰かに誘われるがままに入部しました。

 

人数が比較的多い部で、私の学年だけで20人弱いたでしょうか。

週末になると、他校との練習試合に輪切りレモンのはちみつ漬けとスポーツドリンクをもって出かけていきました。

私はへたくそで、スタメンで試合に出るレベルではありませんでした。

ある時、大会があり、他のメンバーの活躍で、私の中学校が3位に入賞しました。

銅メダルがいくつか渡されましたが、部の人数分ありません。

じゃんけんで勝ってしまい、へたくそな私が1つもらうことになりました。

 

部活や試合の帰りには、くたくたでお腹がすきます。

コンビニの中華まんやマクドナルドのハンバーガーなどを買って、

みんなで食べるのが、束の間のホッとする時間でした。

が、我が家では、買い食い禁止。

お小遣いが潤沢にあるわけでもありません。

「寄り道をしないで、真っすぐ帰ってきなさい。」

常に母にはそう言われていました。

私一人だけ帰るのは、2つの理由でとてもいやでした。

1つは、どうして帰るの?の質問に、買い食いしてはいけないと親に言われているなんて言いたくなかったから。

もう1つは、みんなと一緒に食べて帰りたかったから。

 

ある日の試合の帰り、マクドナルドに寄り道しているところを母に見つかりました。

校庭で遊んでいる私を、垣根の向こうから仁王立ちで睨んでいた時と同じように、

お店の外から、母の恐ろしい視線を感じました。

帰ったらまた叱られる。

そう覚悟しましたが、叱られるだけでは済まされませんでした。

翌日、母は私の知らない間に学校へ行き、バスケット部の顧問のY先生に会い、部活をやめさせると言いました。

「あなたが顧問をしているバスケット部は、品行が悪い。

子供が帰りに買い食いをしているではないか。

そんな部活を、うちの娘に続けさせることはできない。やめさせます。」

と食ってかかったならまだしも、そうではありません。

母はPTAの役員をしていました。

外面がよく、先生方との関係をこじらせるようなことはしません。

恐らく、「娘にはピアノをさせたいから」など、適当なことを理由にしたのだと思います。

私の意志とは関係なく強制的に、やめさせると先生に伝えてきたと母から告げられました。

なぜ勝手にそんなことをするのか、怒りがふつふつと湧きました。

母に、今度は私が食ってかかりましたが、聴く耳はありません。

「品行が悪い、お前はミーハーで、いつも他人に流される。」

そう言い続け、一歩も譲りませんでした。

私は翌日、職員室のY先生を訪ね、母のことを聞きました。

「お母さんがみえて、部活をやめさせると言っていたよ。」

私は深く頭を下げて、「申し訳ありませんでした。」と先生に詫びました。

途中でやめなければならないこと、そして、自分の意思とは無関係の母の言動を、詫びたのです。

先生は明るくさっぱりした、男性としては小柄な美術の先生でしたが、その時には何も言わず、真面目な顔をされていました。

 

「たまこ、部活やめるらしいよ。」

「え、そうなの。メダルまでもらったくせに、やめるんだ。だったらもらわなきゃいいのに。」

「そうだよね。あ、でも、あの子の家、お母さんが厳しいらしいよ。」

「へー。」

 

そんな陰口が、友人たちから聞こえてきました。

私の意志ではないのに、そんな言われ方をして、悔しい。

でも、そこを彼らに説明したところでなんにもならない。

結局、バスケット部の友人たちとは、仲良くなるどころか、陰口をたたかれるようになり、それを気にしていないふりをして、明るく演じる日々が始まりました。

母に歯向かってみたものの、考えを変えてくれる見込みはありません。

なんだかわからないけれど、全てがとても辛くて、

毎晩布団に入ると、声を殺して泣きました。

涙が伝わり落ちて、両耳を濡らし、枕にしみこみました。

早くこんなつらい思いから抜け出したい。

でもどうすれば。

そんな同度巡りで、悶々としながら過ごす毎日は、苦しいのひとこと。

当時流行っていたアニメ、キャンディキャンディを見て、元気を出そうと自分に言い聞かせました。

 

部活を続けたい。

何でも話せる友達を作りたい。

母の考えは私の意志ではない。

せめてそのくらい、Y先生や誰かに話すことができたら、

もう少し状況は変わったかもしれません。

しかし私は、ことあるごとに発せられる

「そんなことをしたら笑われる」

という母の言葉にすっかり縮こまって、自信喪失していました。

だから、誰にも、本当に感じていることを話すことができませんでした。

どう感じているのか、自分でもわかりませんでした。

 

確かに学校でも、寄り道を良しとはしていなかったでしょう。

でも、力ずくでやめさせる必要はあったのか。

今もわからずです。

 

どんな時も、例え親から躾けられたことに反しても、自分が何を感じているか、気づいてください。

その気持ちに沿って行動してください。

私はそうできなかったから、長い長い暗黒の日々に、大切な人生の時間を費やしました。

子供だから、親に従うのが普通です。

でも、親と言えども他人です。

親から言われた一言に、今どう感じているか。

それを大事にしてください。

かけがえのない短い人生、

自分の価値観で、思い切り生きましょう。

 

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