こんにちは。
たまこです。
小学校1年生か2年生の時、
クラスのみんなの前で、
先生に土下座して謝ったことを思い出しました。
「両手をついて、謝ってきなさい。
そうしないなら、帰って来なくていい。」
母からそう言われたからです。
土下座って、今思えば尋常ではありません。
そんなに悪いことをしたのか。
事の経緯はこうです。
私が入学した小学校は、私立のミッションスクールでした。
シスターがいらっしゃる学校です。
毎日制服を着て、バス通学でした。
すぐ近くに教会があって、時々授業の一環で先生に連れられて訪れていました。
みんなで賛美歌を歌ったり、神父様のお話を聞いたりする時間でした。
教会の外には、ルルドの泉に見立てた断崖絶壁が設えてあり、
その上の方に白いベールのマリア様がいました。
断崖絶壁の後ろ側は、人が1人通ることができるくらいの隙間があり、
落ち葉が沢山落ちていました。
その隙間を、友達のAちゃんと2人で、
落ち葉をカサカサと踏みながら何度も通り抜けるのが、
帰り道のちょっとした楽しみでした。
なぜそうなったのかは覚えていませんが、
ある時から、
少しの落ち葉に火をつけて燃やす遊びが始まりました。
自宅の台所の引き出しから、こっそりマッチを持ってきて、
ほんの数枚落ち葉を燃やすのです。
白い煙が上がって、焚き火の臭いがするのが楽しかったのです。
大きな火事になったら大変ですし、
小学生がやってはいけないことはわかります。
でも、そのスリル感がたまらなくて、毎日寄り道していました。
マッチを持ってくるのも、落ち葉を燃やすのも、ドキドキでした。
やがてその事が大人にバレて、恐らく学校経由で両親の耳に入りました。
「お前がやったのか」
問い詰められて、下を向いて、ごめんなさいと言いました。
「明日学校に行ったら、Aちゃんと一緒に、
先生にお詫びをしてきなさい。」
さらに、
「両手を地べたについて、謝ってきなさい。
そうしないなら、帰って来なくていい。」
ドーンと心が重くなりました。
両手を地べたつくって!
Aちゃんが一緒に土下座をするはずもありません。
私ひとり、先生の前に土下座なんて!
これは、悪いことをした罰なんだなと感じました。
次の日は、大好きな学校に行くのが、初めて嫌でした。
謝ると言っても、なかなかそのタイミングがつかめず、朝から落ち着かない授業が過ぎていきます。
帰りのホームルームの後、
制服姿に黒い帽子ですっかり帰宅モードのAちゃんと私は、
意を決して黒板の前に立っている先生の所にいきました。
2人で並んで先生の前に立ちます。
いよいよです。
「先生、教会で落ち葉を燃やして、」
まで言って、
左側にいるAちゃんが立ったままなのを感じながら、
勇気を振り絞って、膝を折り、教室の木の床に両手を付きました。
「申し訳ありませんでした。」
Aちゃんはびっくりしたことでしょう。
恥ずかしさのあまり、私はすぐに立ち上がりました。
先生の顔を見ることはできませんでしたが、その声からびっくりした様子がわかります。
叱られることもなく、何か優しい言葉をかけてくださいました。
その後、母と先生は電話でやりとりをしたようです。
「両手をついて謝って頂きましたよ」
と先生が言っていたと母から聞き、この件は一件落着。
恥ずかしい気持ちが、今でも蘇ってドキドキします。
親になった今、娘が同じことをしたら、
果たして同じように両手をついて謝れと言うのか。
答えはNoです。
確かに、火災の危険があり、やってはいけないことです。
そのように教えなければならないのはわかります。
しかし、大人になった今は、子供のイタズラ心、好奇心も理解できるからです。
さらに、土下座すればなんでも許してもらえるといった、
本来のお詫びの気持ちと離れてしまうリスクを感じるからです。
その後の人生で、両手を付いて謝らなければならない程の事件は、今のところ起きていません。
安易な土下座は、却って相手を嘲笑しているようにも感じます。
土下座は、常軌を逸する感があります。
今なら、ドラマ半沢直樹の世界ですね。
ですから、冷静に、慎重に、
どうすれば心からの謝罪の気持ちを相手に伝える事ができるのか、
判断が求められます。
母がなぜ、7歳か8歳の娘に土下座を強要したのか。
娘の私にお詫びの仕方を教えたかった。
二度と同じ事をしないように罰を与えたかった。
教育熱心な親だと先生に思われたかった。
学校にいい顔をしたかった。
真相は闇の中です。
今でも色々と考えさせられる、小学校低学年の体験です。
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