毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

向こうから来いとはどういう気持ちなのか

こんにちは。

たまこです。

 

デパートで、親友がお母さまと一緒にいるのを見かけました。

「あっ、〇〇さんだ!」

私は両親と一緒にいましたが、すぐに駆け寄って、挨拶に行きました。

両親も一緒に来てくれているかと振り返ると、誰もいません。

仕方なく、「ちょっと呼んできますね」と言って、両親を探しに戻りました。

「〇〇さんとお母さまがいらしてるから、来てよ」と言うと、

母が怪訝な顔で言いました。

「向こうからくればいいじゃない。どうしてこっちが行かなきゃならないの。」

「・・・。」    

絶句です。

議論する気にもなりません。

仕方なく、友人とお母さまには、見失ってしまったと嘘を言ってその場を濁しました。

 

これは社会人になってからのことです。

週末に、なぜ両親と私の3人で、デパートにいたのかは覚えていません。

その頃の私は会社員で、当時はまだ少なかった総合職の営業ウーマンとして、

仕事に熱中していました。

覚えることが山ほどあり、ノルマの数字も大変。

残業があたりまえでしたが、温かい先輩たちに恵まれ、楽しい日々でした。

 

そんな日々を分かち合った仲の良い同期の女性がいました。

週末は彼女の自宅に良く遊びに行っては、仕事の悩みや将来を語り合いました。

ご両親や妹さんとも親しくしていただき、第二の我が家といった感じでした。

それが、前述のデパートでバッタリ会った親友です。

だから、彼女とお母様を両親に紹介したかったのです。

ひとことお礼を言って欲しいと思ったのです。

 

「向こうから来ればいいじゃない」

なぜ、そのように思うのか、私にはわかりません。

母のびっくりしたような表情から、ただ面倒だったわけではないのがわかります。

なぜ、こちらから行くことができないのか。

国家公務員の父は、言葉を選ばずに言えば、

民間企業を馬鹿にしている節がありました。

国のお役人として、常に上から目線のように、私には感じられました。

その影響だったのかもしれません。

 

なんとも言えないモヤモヤが今も胸に残ります。

誰彼構わずいい顔をして欲しいとは思いません。

全くの他人ならまだしも、娘がお世話になっている相手です。

ひとこと、いつもお世話になっております、と言えないものでしょうか。

 

父方の親戚が亡くなった時のこと。

お通夜や告別式後の会食では、故人の親族が、駆けつけてくださった方々に、お礼の言葉と共にお酌をする光景がよく見られます。

しかし、父は、お礼の声がけも、お酌もせず、食事をしていたそうです。

その様子を見た人が、「あの人はお酌もしないのか」と陰口を叩いていたと耳にしたのを思い出します。

「向こうが来ればいいじゃない」と、同じ現象です。

 

父が亡くなった時の母も同じでした。

遠方から来て下さった方々に御礼の言葉ひとつありません。

お酌もしません。

そして、涙も出ない。

 

身近な人達と繋がって、その方々から学ぶことは沢山あります。

助けられることも沢山あります。

繋がるチャンスを全て無視するのは、勿体ないことです。

せっかくのチャンスを台無しにしています。

 

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我が家の次女です。

 きのう、12才の愛犬とゆっくり散歩した時のことです。

近所の工事現場のトラック誘導をしているおじ様が話しかけて来ました。

「何才?」

犬の年齢を聞かれたのですが、その顔をみると、明らかに日本人ではありません。

思わず「Twelve」と返しました。

「But, wonderful!」

と笑ったおじ様は、前歯が1本しかありません。

「Where are you from?」

「I'm from India. My father is Indian and my mother is American. I'm half.」

「Really⁈」

そんな会話をしました。

ポジティブで明るい何気ない会話が楽しくて、元気が出ました。

両親なら、こんな会話はしないだろうなと、

特に、このおじ様が日本人なら、絶対に話さないことでしょう。

 

犬の散歩に行くと、実にたくさんの知らない人に話しかけられます。

可愛いわねと、微笑む人。

互いの犬の話に花が咲く人。

知らない人とも、会話が弾みます。

会話の楽しみを、両親にも知って欲しかった。

そうすれば、「向こうがくればいいじゃない」の代わりに、

「お世話になっているなら、ぜひご挨拶させてもらおう」と言ってくれたでしょう。

葬儀の会食の時も、

「遠いところをありがとう、来てくれて嬉しい」と言えたでしょう。

そして、友達もできたことでしょう。

 

雨露凌ぐ、家があること。

一緒に住む人がいること。

仕事があること。

食事か美味しいこと。

身近な小さなこと全てに、ありがとうと思えた時、なにか解放される気がします。

自由になる気がします。

 

私は、まだまだ足りないけれど、感謝しつつ生きていきます。

周りの人に、自分から感謝を伝えます。

ひとりでは、生きられませんから。

たくさん、助けてもらっていますから。

 

今日も読んでくださって、ありがとう。

 

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