こんにちは。
たまこです。
自分の感じている通りに行動できない人は、
他の人の価値観で、他の人の人生を生きています。
少し前までの私がそうでした。
今、感じていることに従って行動すること。
そんなの簡単じゃないか。
例えば、
部屋が暑い、と感じたら、窓を開ける。
おなかがすいた、と感じたら、何か食べる。
確かに、難しくありません。
でも、生理的なこと意外となると、どうでしょう。
例えば、
この人と話すのは苦手だと感じたら、その人には近づかない。
普通はそうするでしょう。
私はつい最近まで、そんな単純なことができませんでした。
苦手な人には、あえて話しかけ、誘われたらついて行きます。
どこかで、苦手な自分の方がおかしいと思っているからです。
自信がないので、嫌われたくなかったのです。
今思えば極めて苦しく不可解な行動でした。
悩み事を打ち明けたら、「そんなことはよくあること」と先生に鼻で笑われたことがあります。
さんざん悩んでいる毒親問題をそんな風に言われて、すんなり飲み込めませんでした。
それなのに、やはり自分がおかしいのかもしれないと思いました。
先生の仰るとおり、そんなことを悩む自分がおかしいのだと考えました。
先生に言われたことを、鵜呑みにしていました。
それでは、一向に悩みは解決されませんでした。
感じた通りに行動できない。
それは、何があっても、どんな時も、まず、
「私がおかしいのではないか」
と考える習慣になっていたからです。
幼い時から母に、
「そんなことをしたら他人に笑われる」
「おまえの考えていることは、目の動きひとつで全部わかる」
と言い聞かされ、それが沁みついていたからです。
大人になり、母との問題に気づいてからは、一刻も早く解決したいと必死でした。
そのために、たくさんの本を読み、
ゲシュタルト療法のセラピストになり、
絵本講師になり、
ビジネススクールで学び、
有名な先生の私塾に通いました。
中でも効果的だったのは、ボイストレーニングと絵本、そしてゲシュタルト療法です。
それぞれについては、また別の機会に書くことにして、
問題は効果のなかった有名な先生の私塾です。
「たまこは、somethingを持っている。」
「足にからまった糸を、全部解いてあげよう。」
有名な先生にそう言われて嬉しくて、この先生について行こうと決めました。
先生の私塾は、総じて言えば、生き方を習う塾です。
毎週開催されています。
数年間、毎月30万円ほどかけて、その塾に通いました。
余程のことがない限り、欠かさず参加しました。
会社員を辞めて、思うように稼ぐことができずに悩んでいたその頃、
資金源は貯金でした。
数年経過して、貯金が底をつきました。
先生に塾を休むと言ったら、
「主役がいないのは残念だ」と言われました。
どうしても行きたい。
私は初めてキャッシングを利用しました。
前言を撤回し、借金をして休まず塾に参加しました。
その後、先生にも借金を勧められました。
「金利15%としても、いくらでもない。便利な仕組みだ。」
その時に、おかしいと感じるべきでした。
先生の言うことを鵜呑みにして、暫く借金をして通いました。
一緒に学んでいた、今思えば信者のような生徒の一人からは、
「来れば儲かるようになるのだから、ここでお金をケチるより、来るほうがいい」
と説得されました。
そんなものかなと、思い、資金繰りに窮しながら、やっとの思いで通いました。
長く通っているのに、年収がアップしない=成果が出ないことについて、
先生から
「200%先生を信用していないからだ。
たまこは疑念の塊だ。」
と言われました。
私は「そうなのかな」と受け止め、信じ方が足りないのだと思いました。
ここであきらめずに続けることが勉強だ、
くじけないことが、継続は力なりだ、と考えました。
あるとき、この塾には特待生が数名いることがわかりました。
毎回、無料で参加している女性です。
先生と、特別な関係にある女性たちです。
不快感がありましたが、それでも、200%信じろと仰る先生を信じよう、何か事情があるに違いないと、自分に言い聞かせ、通い続けました。
「他人に目がいくのも、先生を信じていない証拠だ。」
いつもそう言われていました。
ある日、些細な納得できないことで私はつるし上げをくらいました。
あることで、みんなの前で先生から、
「この人は間違いを犯した。」
と言われたのです。
屈辱でした。
発言を促された特待生の女性も、
「その通りだと思う。」と言いました。
その瞬間、先生の言葉が一切入らなくなりました。
何を言われようと、体が拒絶しました。
塾をやめよう。
初めて本気でそう思いました。
それでも、迷うのです。
「やはり、自分がおかしいのではないか」
先生は何かを気づかせるために、あえてあんな風に言ったのではないか。
その時は、先生がいなくなることへの不安がありました。
友人が言いました。
「たまちゃん、それはおかしいよ。
そんな気分の悪い思いをしてまで、なぜそこに行くの?
借金しろとか、信じろとか言う人に、ろくな人はいないよ。」
反論の余地はありません。
「やめてみて、必要だと思ったらまた再開すればいいじゃない。」
迷いに迷った挙句、友人の言葉に従うことにしました。
塾をやめよう。
7年もの毎週先生と顔を合わせる生活にピリオドを打つ決断でした。
今日まで、再開しようと思ったことはありません。
その分の時間とお金は、他のことに使い、新たな出会いがありました。
決断してよかった。
自分の気持ちそっちのけで母の言うことを聞いていたいい子は、
大人になってもいい子のまま。
先生の言うことを聞いていたのです。
同じことを2度、やってしまったのです。
アホや〜。
その先生は母同様、あんな風に言わなければ立っていられないのです。
生徒は信者、先生は教祖様。
そんな環境を作り上げなければやっていかれない弱さ。
ひょっとすると私の毒母問題と似た課題を、抱えているのかもしれません。
違和感を感じている自分に気づけないこと。
気づいても、その違和感を信じられないこと。
それは、誰かに教わった通りにふるまう人生しか送れないということです。
自分の人生を生きていないのです。
世の中の大半の人が、もしかするとそんな生き方をしているのかもしれません。
日本の教育では、みんなと同じようにすることを良しとしていますから。
なぜ前髪が眉毛にかかってはいけないのか、
なぜ制服のスカートの丈がひざ下でなければいけないのか、
そんなのどうでもいいやん、と今は思います。
反抗して髪を伸ばしたり、スカートを短くしたり超ロングにしていた友達のほうが、
よほど偉いとすら感じます。
感じた通りに行動していたのですから。
信者と教祖様状態のセミナーや私塾が、世の中にはたくさんありそうです。
見極めのポイントは参加者の生活が改善し、幸せになっているかどうかです。
まともな私塾は、参加者が幸せになっています。
まじめで勉強熱心な人ほど、教祖様にはまりやすい。
そういえばオウム真理教もそうでした。
お気をつけあれ~
今何を感じていますか。
自分と対話してください。
ああそれにしても、わたしの払ったうん千万円、いまどこに。
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