毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

いい気になんてなってない。軽率な行動なんかしていないよ。

こんにちは。

たまこです。

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来客は母の手料理でおもてなし

「すぐお調子に乗って!」

 

小学生の頃、来客が帰ったとたん、決まって母に言われた言葉です。

「いい気になって、軽率な行動をして、けしからん!」

という意味です。

この一言で、来客と一緒に過ごした楽しい気持ちは一気に吹き飛びます。

いい気になったつもりも、軽率な行動をしたつもりも、

小学生の私にはありません。

何がいけなかったのかわかりません。

ただ楽しく過ごしただけなのにな。

 

来客が帰る時間が近づくと、だんだん憂鬱になりました。

その後は、必ずお調子に乗ったと叱られるからです。

できるだけ事を大きくせずにやり過ごすにはどうすれば良いか、

あれこれ頭の中で考えを巡らせます。

とりあえずごめんなさいと言っておこう、いやいや、無駄な抵抗はせず黙って嵐が通り過ぎるのを待とう、等々。

ちょっとやそっと考えたくらいで、効果的な対策ができるはずはありません。

「おまえはいつも、すぐお調子に乗って!」

あんなに楽しかったひと時は、母の怖い顔とこの一言で、台無しでした。

 

私は小学校2年生まで、私立のカトリックの学校に通っていました。

その流れで、妹弟も、東京にある同じ系列の幼稚園に通園しました。

その時にお世話になった教会の神父様は、時々我が家に遊びに来てくれていました。

彼は我が家では「じゅんちゃん」と呼ばれていました。

母がなぜじゅんちゃんを招待したのか、

どんな話をしていたのか知りません。

それはとても楽しいひと時でした。

私は妹弟と一緒に、歌をうたったり、劇をしたり、出し物をして、

じゅんちゃんをおもてなししました。

3人で繰り広げるステージの司会進行をしながら、妹弟に指示出しをしました。

じゅんちゃんもニコニコして、私たちに惜しみない拍手を贈ってくれました。

ただただ、一生懸命で、楽しい時間でした。

 

大人の話をさえぎって自分が話すとか、

はしゃぎすぎていつまでもにぎやかすぎるとか、

叱られるとしたら、そんなときでしょう。

でも私は、そのようなことはしていません。

遠い昔のことですから、何か母の癇に障ることがあったのかもしれません。

来客のたびに同じように叱られましたから、

毎回同じように癇に障ることをしていたのかもしれません。

私にはそれが何なのか、今でもわからないままです。

母と一緒にいるときには、だんだん思っていることを言えなくなりました。

理由もわからずに叱られるのが嫌だからです。

 

子供が一所懸命歌う姿、劇をする姿、きっと可愛かったでしょう。

小学生の私も、楽しくて、いい顔をしていたことでしょう。

子供たちと一緒になって、楽しいね、と言ってくれたらどんなに良かったでしょう。

上手に歌えたねと、言ってほしかったなあ。

母は、一緒に笑うことはありませんでした。

何か笑えない理由があるのでしょう。

 

同じクラスのお友達のお誕生会にお呼ばれした時、その友達のお母さまが撮って下さった写真を見た母が、次のように言ったことがあります。

「おまえは外ではこんなに楽しそうな顔をしているのに、どうして家ではそういう顔をしないの?」

この時はちょっとびっくりしました。

楽しい顔をしていないのは、家にいると窮屈だからです。

楽しくないからです。

居場所がないからです。

そんなことをなぜ訊くのか、母は自分のしていることが何一つ見えていないのだとわかりました。

 

小学生でも、早く週末にならないかなと話している友達がたくさんいました。

週末は、学校に行かなくていいからです。

私は全く逆でした、

学校がない週末が嫌いでした。

家にいてもつまらないから。

好きなことをして過ごすことができないから。

楽しい表情をするわけがありません。

 

子供は、子供らしい表情をしているものです。

母によれば、私はいつだったか、子供の顔をしていないと医者から言われたそうです。

心から安心して、感じたことを発言できる家庭が、夢でした。

子供にも、心おだやかに安心して過ごす権利があると感じます。

変に躾をしようとするのではなく、生き方を見せるのが親。

そう考えています。

母の生き方は、私にとって反面教師です。

同じことを、自分の娘には絶対にしない。

そう強く誓っています。

 

余談ですが、じゅんちゃんは、私が社会人になって数年後、不慮の事故で脊髄損傷。

入院してしまいます。

お見舞いに行くと、マスクに白衣、髪を覆う帽子をかぶらなければ入ることのできないクリーンルームで、喉のあたりに穴をあけ管につながれて必死に生きていました。

その後忙しさにかまけてお会いせずに過ぎてしまいました。

先日父の葬儀で20年以上ぶりに会った母が、「じゅんちゃんは死んだでしょ。」と。

私には、その情報を知っていることを母が自慢しているように聞こえて、心がくしゃくしゃになりました。

「死んだ」ではなく、せめて「亡くなった」と言ってよ。

じゅんちゃんが、私に、無声音で言った「ありがとう」の声を、今も忘れることはできません。

お世話になったじゅんちゃん、なにもできずごめんなさい。

そして、ありがとうございました。

 

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