こんばんは。
たまこです。
我が家は、トイプードルと一緒に暮らしています。
犬と暮らす日々の良いところは、
なんと言っても、穏やかな気持ちでいられることです。
どんなに腹が立つことがあっても、
どんなに悲しいことがあっても、
犬に話しかけるときは笑顔になれます。
怒った顔のまま、犬に話しかけることはできません。
どんな時も、まん丸の目で文句ひとつ言わずに私たち人間を受け入れ、
可愛い表情と温かいぬくもりをくれる我が家の次女ぷーちゃんなしには、
もうこの家は成り立ちません。
娘が保育園の最年長クラスの頃、ぷーちゃんは我が家にやってきました。
金融営業ウーマンで夜遅くまで会社にいることも多く、
子育てと両立させるだけでギリギリだった当時の私は、
犬を飼うことには反対でした。
自分でお世話ができるようになってからと、娘にも話していました。
ところがある春の週末、私が外出している間に、
娘が欲しがっていた犬を、主人が私には相談なしに、購入してきたのです。
ぷーちゃんでした。
写メで送られてきた長髪のわんこの写真には、
「ママ、私の妹だよ。よろしくね。」
と娘からのメッセージが添えられていました。
「責任をもって面倒をみてくださいね。ママは、面倒を見る暇はありません。」
と主人に冷たく返信しました。
その日帰宅すると、ぷーちゃんとのご対面です。
私は怒ったまま、ぷーちゃんを可愛がろうとはしませんでした。
ぷーちゃんもそれがわかるのか、私には近寄りません。
しかし、初めての犬です。
ケージを用意して、その中に入れて、人間たちは別室で寝ようとしたところ、
ぷーちゃんが吠えるのです。
深夜で、近所迷惑が気になります。
仕方なく家族全員リビングのぷーちゃんのところに来て、
睡眠不足の一夜を明かしたのは今でも鮮明に覚えています。
最初の数年はいたずらもしました。
木の踏み台をがりがりかじったり、ゴミ箱をひっくり返したり。
中でも、タイ人の友人がお土産に持ってきてくれたカシューナッツのプラスチックの箱を開けてひっくり返し、かなりの量を食べてしまった時には、
体調も心配でした。
塩味が強いですから。
手の届くところにそんなものを置いておいた人間が悪いのです。
そんなぷーちゃんの散歩係は、今となっては私だけ。
気が向いた時だけ、娘が縄跳びをしながらついてきます。
ご飯や、おやつの乾燥ささ身のスティックを切らさないようにストックしておくのも、
私の役目です。
ペット用のシーツを買っておくのも私です。
トリミングだけは主人が車で連れて行ってくれます。
ぷーちゃんは13歳。
寝るときは私のベッドの横に、専用のクッションを持ってきて寝ています。
朝方、私のベッドサイドで二本足で立って、どうして一緒にベッドに乗せてくれないのと言いに来ます。
それで目が覚め、しょうがないわね、とベッドに上げてあげると、
くっついて横になります。
先日は、珍しくおやすみを言って電気を消すところで、
ベッドに乗せてと言いました。
大人のベッドを2つくっつけて、ぷーちゃんが多少歩き回っても大丈夫な広さを確保して、乗せてあげました。
最初は私の右側にくっついて寝ていました。
何度か位置を変えて眠り、朝起きた時には私の周りを一周して、左側でくっついて寝ていました。
布団をかけている私の上に乗ってしまうこともあります。
ちょっと重いけど、なんとまあ可愛いのでしょう。
くっついて、
ぬくもりを感じて、
息遣いを感じて、
生きているのを感じて眠る。
家族とは、こういうものですね。
そういえば、娘が中学生になった頃でしょうか、
一緒に出掛けた日に、初めて彼女が私に腕を組んできました。
娘には言っていませんが、本当はその時、ちょっとびっくりしたのです。
私は母と腕を組んだ経験がないからです。
一度だけ母がぎっくり腰になった時に、体を支えて歩いたことがありますが、
母に触れた記憶はその1回だけです。
どうしたらこんなに柔らかくなるのだろうと思うくらい、
やわらかいぷよぷよの腕でした。
娘に腕を組まれて、ちょっと恥ずかしかったのですが、嫌な気持ちはしませんでした。
私は母に腕を組むなんて考えたこともありません。
娘は、そんな私とは違うのだということが、なにより嬉しいことでした。
互いのぬくもりを感じて歩くのも、いいものです。
推察ですが、母も私と同じように、
自分の母と腕を組むなんて、考えたこともないでしょう。
この推察は絶対にあたっている自信があります。
母と祖母とは、折り合いが良くありませんでしたから。
家族の温もりを感じられる日々。
今日も、幸せなんだな。
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