毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

毒親、毒母の定義

こんにちは。

たまこです。

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今日は母の日

毒親、毒母をテーマにしたブログや番組が最近増えてきました。

先日は、NHKクローズアップ現代プラスでとりあげられていました。

www.nhk.or.jp

記憶に新しいのは、「母さんがどんなに僕を嫌いでも」という映画です。

hahaboku-movie.jp

 

毒親、毒母、という言葉が、人によって異なる定義で使われています。

自分の思う通りに言ったりしたりしてくれなければ全て毒親

というのは少し違うな、と感じています。

クローズアップ現代で、武田キャスターが、

「子供のためを思って言っているのに、毒親と言われては、、、」と言って

目頭を押さえていらっしゃいました。

彼は毒親なんかじゃありません。

 

毒親(毒母)とは、

「なんらかの事情で、自分の子供に愛情を注ぐことができない人(母)」

です。

私はそう考えています。

なんらかの事情というのは、その人個人の抱えている課題のことです。

その多くは、そのまた前の世代の親子関係にあった課題を、

解決されないまま抱えているのです。

前の世代、つまり、母と祖母の間の不具合を解決できないまま、出産。

そのため、引き続きその不具合がこびりついて離れず、

自分の子供とも同じ不具合を生じさせているのです。

このような課題に手を焼き、子供に愛情を注ぐ心のゆとりを持てなくなってしまうのです。

 

自分の課題に向き合い、不具合を解決しようとする親なら、

時間はかかっても、いつかは毒を吐かなくなる可能性があります。

クローズアップ現代に出演されていた、東ちづるさんのお母様がそうです。

一緒にカウンセリングを受けたら、肩甲骨のあたりから羽が生えたように自由で活動的なお母様に変身されたと仰っていました。

「母さんがどんなに僕を嫌いでも」の吉田羊さん演じる母もそうでした。

太賀さん演じる息子が、20年以上も母の愛をあきらめず、献身的に働きかけてきたことで、最後は心の通い合う親子になれたのです。

 

私の母はと言いますと、課題に向き合っている節はありません。

課題の存在に、気づいていないのかもしれません。

母は、自分の考えと異なる他人の意見を聴くことができません。

最初はAだと思ったけれど、あなたの話を聞いてやはりBだとわかった、

といったことが、母には全くありません。

少しでも考えの異なるものに触れると、徹底的に排除します。

あたかも無菌室に住んでいるようなものです。

1歩でも無菌室からはみ出した意見を言おうものなら、徹底的に反対し許容しません。

母から見れば、私は無菌室の外に住む、ばい菌にまみれた人間です。

外の世界の話をするとぴしゃりと否定し、1週間でも2週間でもそれはいけないと言い続けます。

例えば、大学時代、ホームステイのツアーで一緒だった男性の友人と2人で、旅の思い出話に花を咲かせ、食事をして帰宅した時には、

「フィアンセでもない男性と4時間以上一緒にいるのはおかしい。」

と叱られ、耳栓をしなければ生活できないほど毎日顔を合わせるたびに同じお小言をくらいました。

本当は、その友達とどんな楽しい話をしたのか、どんな美味しい食事をしたのか、母にもきいてもらいたかったのです。

しかしそんなことは夢のまた夢。

男性と出かけることは無菌室ではご法度だったのでしょう。

母とは会話がしたくてもできない、話すのは、母が許容できる無菌室の話題だけ、でした。

無菌室の外に住む私のことを、母は理解することができません。

その証拠に、私が感じていることについて、何一つ会話ができません。

当初は、「4時間以上男性と一緒にいてはいけないなんて、おかしいよ」と、激しく抗議しました。

しかし母は取り付く島もありません。

意味不明の小言を四六時中言われるのは、頭がおかしくなりそうで、いつしか反抗することをあきらめました。

疲れ果てたのです。

いつしか無菌室で許容できる話題しか話さない親子になりました。

母にとっては、私は言うことをきくいい子だったことでしょう。

反抗しませんからね。

 

母のような大人に会ったことがありません。

80歳を迎えた今も、全く変わらない母には、友人がほとんどいません。

娘の私のみならず、他人も寄り付かないのでしょう。

何が楽しくて生きているのか、私にはさっぱりわかりません。

気心知れた友人や家族に囲まれ、会話の弾む老後を迎えて欲しいものです。

 

課題に向き合う気持ちがあれば、他人の話に耳を傾けるはずです。

無菌室の外の話にも、耳を傾けるはずです。

無菌室にいることが、どんなに窮屈で、退屈で、苦しいことか。

気づいてほしい、と感じます。

でも、それは母の問題。

私の問題ではありません。

短い人生、他者の問題を抱える暇はありません。

 

毒母の定義は、次のように言いかえることができます。

「自分の課題を解決していないため、自分の子供に愛情を注ぐことができない母。」

私はそう思います。

 

蛇足ですが、DVで、体に傷やあざがあるなど、目に見える痕跡がある場合には、

他人も本人も、毒母の存在に気づきやすいです。

 DVではなく、言葉の暴力のみの場合は、一見幸せな家庭に見えてしまいす。

毒母は特に世間体を気にして、いい親、いい家庭を他人の前では演じます。

ですから、一見幸せな家庭に潜む毒母に悩む子供の問題はみつけにくく、非常に根深いです。

子供自身が、自分の母が毒母だと気づけないケースもたくさんあります。

一刻も早く事実にに気づき、受け入れ、ばかばかしい生きづらさから解放されることを願っています。

 

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