毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

子供時代の我が家の豆まきはお菓子を撒いていた。

こんばんは。

たまこです。

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3日は節分でした。

子供の頃は、毎年豆まきを楽しみにしていました。

普通の豆まきではなかったからです。

ひととおりすべての部屋で豆撒きをした後、

両親が、用意した大量のモロゾフのチョコレートやキャンディー、当時よく売られていたサイコロキャラメル、落花生などをリビングで撒いてくれるのです。

私たち姉妹弟は、きゃあきゃあ言いながらそれを拾うのです。

新聞紙などの大きめの紙で折った器に、拾ったお菓子を入れていきます。

丁度満杯になるくらいのお菓子を撒いてくれていました。

それからしばらくは、毎日少しずつそのお菓子を食べるのも楽しみでした。

 

幸せな家庭です。

子供に愛情を注ぐことができない母が、毎年こんな豆まきを準備すること自体、とても大変だったろうなと思います。

なぜするのか。

それは、幸せな家庭を演じる必要があったからでしょう。

他人から、良いご両親ね、良いご家庭ね、と言われなければ、立っていられなかったのでしょう。

私には、母は、抱えている問題と向き合い、解決する事を避けているように見えます。

その証拠に、メンタルは常に不安定でした。

子供が少しでも気に入らないことをすると、

「たまこはこんなダメなことをした。呆れ果てる。」という風に、何日もそのことを言い続けます。

言い出したら止まりません。

耳栓をしたくなる程、毎日毎日。

そんな状態ですから、子供のために豆まきをするのは、

本当は精神的に負担が大きかったに違いありません。

その苦労に、今はありがとうと思います。

 

愛情を注ぐことができない私のためにも、

良いご家庭ねと言われるために、

幸せな親子を演じて豆撒きをしなければならない。

そんな感じだったのでしょう。

さぞかし苦痛だったことでしょう。

思っていることと逆の行動をするのですから。

そんなことをしてくれなくてよかったのに

とも思う一方、楽しかったからまぁいいか!

です。

貴重な楽しい思い出のひとつとして、しまっておきます。

 

今年も、トイレやお風呂場も含め、すべての部屋という部屋で「福は〜うち」と豆撒き。

ラストは玄関のドアを開けて「鬼は〜そと、福は〜うち」。

正しい豆撒きの仕方を知ったのは最近のことです。

丸いものなら、豆以外のものでも良いそうです。

昔のことを思い出しながら、淡々とやりとげました。

 

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