こんにちは。
たまこです。
毒親育ちの方のツイートを見ていたら、
両親に言われていた言葉をまたひとつ、思い出しました。
「お前は、悲劇の主人公に酔っているだけだ」
上手くいかないこと、
ツライこと、
失敗したこと、
恥ずかしいこと、
生きていれば、良いことばかりではありませんね。
壁にぶつかることは、成長している証です。
なぜなら、行動しなければ失敗も、恥ずかしいことも起きないからです。
そんな時の感情を言葉にしたり、他人に相談したりしながら、
ひとりで悶々と悩むよりも早く、
解決の糸口を見つけられたら、その方が良いに決まっています。
毎晩枕を濡らすほど辛かった中学時代、
思い余って学校の先生に相談しようと決心しました。
その直後、母に日記を読まれてしまい、言われた言葉です。
「お前は、悲劇の主人公に酔っているだけだ」
つまり、
私ってかわいそうでしょうとアピールして、
同情してもらいたいだけだ、
あなたはかわいそうね、大変ねと、言われたいだけだと。
そんなことをしたら、他人に笑われますよと。
全然違うんだよね。
悲劇の主人公とは、自分の不幸を他人のせいにしている人です。
私は悪くないのに、毒親のせいで不幸になったと言う人です。
自分を棚に上げて、他人のせいにするのは嫌いです。
むしろ、自分が悪い所があったのではないかと常に自分を責めるのが毒親育ちです。
自分が悪いから、両親は愛情を注げないのではないか。
そんな風に悩んでいます。
同情して欲しい、かわいそうねと言われたいとは、微塵も思っていないのです。
関心があるのは、どうすれば早く解決できるかということにつきます。
自分の不幸を他人のせいにしていると言われるのは、
身の毛がよだつほど拒絶感を覚えます。
起きている不幸な出来事を客観的に捉え、
今ここにいる自分が、どう感じているのか。
どうしたいのか、見極めたいのです。
解決に向けて、必要不可欠なプロセスです。
不幸な体験をシェアすることは、
同じ問題で悩んでいる人の助けになります。
かわいそうねと言われたくて、
シェアしているのではありません。
相談しているのではありません。
かわいそうねと言われたい人は、
不幸な境遇を楽しんでいるのです。
かわいそうねと言われることが快感だからです。
しかし、毒親育ちは、かわいそうねと言われてもちっとも嬉しくありません。
かわいそうねと言う人は、
毒親問題については全く交わることのできない相手です。
かわいそうという感情が、他人事だからです。
同じ目の高さではないからです。
毒親育ちの苦しみは根が深く、
いい大人になっても引きずることが少なくありません。
一生気づかずに終えるケースもありそうです。
気付いたら気付いたで、
それをどのように克服し、
快適に人生を送ることができる環境を整え、
自分を変えることができるか、
大問題です。
高くて頑丈な壁のように感じられます。
何しろ幼少期の何十年もの間、
親から嘘を聞かされ、
信じて生きてきたのですから。
毒親育ちは、そうやって懸命に生きています。
悲劇の主人公ではありません。
そんなことを言う人には、金輪際耳を貸してはダメです。
それよりも、自分と対話しましょう。
今、何を感じていますか。
その涙が話せるとしたら、何と言っていますか。
それに対して、何と言ってあげたいですか。
#毒親 #毒母 #毒親育ち #アダルトチルドレン #AC #悩み相談 #心理学 #生きづらさ #自己肯定感 #居場所 #どくっコぐらし