毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

毒親育ちが結婚に失敗するのは引け目があるからだ。

こんにちは。

たまこです。

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↑多くの離婚調停が行われている家庭裁判所前の爽やかな木

 

毒親育ちは、自分の育った家庭に誇りを持つことができません。

両親との心の通うコミュニケーションが家庭内に存在しないのはもちろんのこと、

家庭の外の友人や知人とのコミュニケーションにおいても、

幼い頃から耳にタコができるほど繰り返し聞かされてきた嘘の教えが沁みついているせいで、

本音で語り合ったり、交流を楽しんだりすることが困難だからです。

 

「おまえの目の動きひとつで、何を考えているかわかる。」

だから、親にうそをついたところでお見通しだ。

「そんなことを言ったら、他人に笑われる。」

だから、お前のバカげた考えを友人や先生にも発言するな。

小学生、中学生の私は、この嘘の教えをはねのけることができませんでした。

どうすることもできず、親の言う通りのいい子を演じてきました。

隣に寝ている弟妹に気づかれないように息を殺して、天井を見つめたまま泣きました。

どうすればこの苦しさから抜け出すことができるのか。

誰かに相談したい。

そう感じても、家庭外の誰にも伝えることができませんでした。

一度、学校の先生に相談しようと意を決したことがありました。

そういう時に限って、苦しさを綴った日記が親に見つかってしまいます。

「そんなことを言ったら、他人に笑われる。」

再び呪いの言葉を聞かされ、相談に行くという決死の覚悟は、あえなく崩れ去りました。

 

こんなことを繰り返すうちに、自分がどう感じているのか、どうしたいのかが、

全く分からなくなったのです。

何を食べたいのか、どこへ行きたいのか、何が快適なのか。

普通の人ならこの場面ではどうするだろうかと頭で考え、

その通りに動いていました。

私は誰なんだ。

苦しく、誰に話すこともできず、頭がおかしくなりそうでした。

 

自分の育った家庭はおかしい。

一日も早く抜け出したい。

ただその一心で、耐えて、耐えて、耐え抜いた青春でした。

 

結婚の時、初めて相手の家族に紹介された日のことです。

「たまこと申します。よろしくお願いします。」

笑顔で挨拶をした私に、義理の姉は無言。

足の先から頭のてっぺんまで、目玉だけ動かしてじろりと見られた時の恐ろしさといったらありません。

これがこの人の普通なんだろうか。

郊外の和食レストランでの食事でしたが、全く味がわかりませんでした。

作り笑顔で気ばかり遣い、どっと疲れたのを覚えています。

今なら、義姉のこのような振る舞いが普通ではないとわかります。

当時の私は低すぎる自己肯定感と、

自分の育った家庭ほどひどい家庭があるはずがないとの思い込みから、

自分が合わせなければならないと考えたのです。

そう考えることに、何の疑いもありませんでした。

詳細は別の機会に書きますが、

結果として結婚後数年経った頃、義姉から吊し上げをくらいました。

ある日、便箋10枚におよぶ私へのお小言を書いた手紙が、郵便受けに入っていたのです。

どうがんばっても受け入れがたいその内容に、不快な表情をせずにはいられませんでした。

それ以来、義姉との関係は崩壊、義母ともうまくいかなくなってしまいました。

 

毒親育ちは、他の家庭が無条件に素敵に見えます。

毒親育ちの引け目があることが原因です。

何度も言っていますが、大事なのは、目前で起きている事象に対して、

自分がどう感じているか、それに気づき、感じたことに従って動くことです。

私もあの時、この怖さは何か変だぞと思えたら、

人生何か変わっていたかもしれません。

可愛い娘に恵まれ、結婚を後悔している訳ではありません。

とにかく、どんな時も、今何を感じているかに意識を向け、それを大切にしてくださいね。

 

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