こんにちは。
たまこです。
数年前、実家から私の荷物が段ボール数箱分送られてきました。
私の結婚に反対し、いろいろこじれて20年近く会っていない両親からです。
結婚の話は別の機会にすることにして、
その荷物の中から中学時代の学活ノートが3冊出てきました。
学年通信を貼り付けたり、テストの成績を貼って、保護者と本人、先生がコメントを書いたりするノートです。
保護者からのコメント欄には、毎回、父の字で、次のように書かれています。
「自覚、意欲、努力が足りない。
進歩がない。」
大人になった今、客観的に見ると、この子可愛そうやん。
そう感じました。
校内で1位なのに、これ以上何をすれば認めてもらえるのでしょう。
当時母からもらった言葉は、
「あら、数学の点数が前より落ちているじゃない」。
きっと、私がもっとがんばるように、葉っぱをかけたくて、そんな風に言ったり書いたりしたのでしょう。
でも、この子、がんばったやん!
それをどうしてほめてやらん!?
大人になった今はそう感じます。
校内1位でも、嬉しいという感情は湧きませんでした。
自分はダメなんだと思っていました。
自覚も意欲も努力も、本当に足りないのだと思っていました。
大人になった今の私から見ると、なんだか不憫でなりません。
子供と一緒に、手を取り合って、やったー!1位だ!おめでとう!がんばったね!
とできなかったのはなぜなのか。
親の教育方針だったのか、
そうやって喜んだ経験がなくわからなかったのか、
はたまた嬉しいと感じていなかったのか、
真相はわかりません。
どんなことを言われても、
自分はがんばったのだと思うことができるほど、
子供は強くありません。
当時、私の自己肯定感はゼロでした。
反抗して家を出るくらいの強さがあればよかったのでしょう。
でも私は、家を出たところで、他人に迷惑をかける。
そう思って、じっと社会人になって自立できる日を待ちました。
親の言動に振り回されず、自己肯定感を保てること。
それには、ひとりでも誰か相談できる大人や友人がいればよかったのかもしれません。
「そんなことをしたら笑われるよ」
母に言われたその言葉が、他人に相談することにもブレーキをかけました。
笑われてなんぼだ。笑われて何が悪い。
今ならそう思います。
でも、中学生の私にはそう思う自信がありむません。
他人に笑われることも、迷惑をかけることも、怖かったのです。
どんな時も、周りがどんな言葉を投げかけようとも、
自分自身がどう感じているかを、
いつも大事にしてください。
どんな時も、自分の感性を信じること。
それが、自分の人生を生きることです。
大好きな母に言われた言葉ですから、素直に受け取って当然のことです。
自分のためを思って、言ってくれているんだ、そう信じていました。
だけどそんな時も、本当に自分の心がどう感じているか、常に向き合ってください。
本当は、がんばったのに「自覚、意欲、努力が足りない。進歩がない。」なんて言われて、悲しかったのです。
何十年も経って、やっとその時の自分が本当に感じていたことに気づきました。
がんばったのに、そりゃあもちろん、もっとこうすればよかったもあるけれど、
進歩がないと言われた悲しみ。
私は悲しかったんだ。
そんな風に感じていることを、自分自身が知っているだけで、気づいているだけで、ずいぶんと違った人生を歩めます。
どんな時も、自分が、自分を応援しなくてどうするんですか。
今、あなたは何を感じていますか。何に気づいていますか。
体は、心は、どんな感じですか。
どんなことを感じようと、あなたの勝手。
罪悪感を感じる必要はありません。
今、感じていることを、大事にしてくださいね。
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