毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

楽しくて仕方がない感覚が蘇ったらもう大丈夫。

こんばんは。

たまこです。

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小学校1,2年生の頃、仙台で私立の小学校に通っていました。

私は、とにかく学校が楽しくて仕方がない子供でした。

見るもの聞くものすべてが興味深く、勉強も全く苦ではありませんでした。

運動会や学芸会、クリスマス会などの行事も全力でやっていたのだと思います。

怠けると言う単語が、当時の私の辞書にはなかったのです。

 

たしか、教室の中に本棚があって、自由に読むことができた記憶があります。

その本棚に「愛の学校」という題名の本がありました。

私にとってはまさに「愛の学校」だなと心から思っていました。

それくらい、学校が大好きでした。

 

最近、この頃の楽しくて仕方がない感覚が戻ってきました。

小学校1,2年生の頃の感覚に近いものです。

本を読んだり、語学の勉強をしたり、歌をならったり、時々はドライブに出かけたり、

どれも楽しいと感じています。

家事や仕事も、少し丁寧にやってみると、成果に違いが出ます。

上手にできると、またやる気が湧いてきます。

感じた通りに動く事ができる。

それは、毒親問題に苛まれているときにはありえないことでした。

ですから、とても嬉しい感覚なのです。

 

仕事の後、夕食の準備をするのは時に面倒に感じてしまいます。

そんな時、私の場合、炭酸水をぐいっと飲んで、気分を入れ替えます。

ちょっとだけレシピをネットで調べて作ってみると、自力で作るよりは数段上の料理が完成します。

先日はトマトのハヤシライスを、トマト缶を使って作ってみました。

納得の美味しさに仕上がり、大満足。

そういった小さな成功を毎日少しずつ貯めていくのが、幸せだなと感じます。

 

小学校3年生から東京の公立の小学校に転校しました。

理由はわかりませんが、この頃から、特に母の毒性が増したのです。

住環境が変わったからなのか、私立から公立に変わったからなのか、見当もつきません。

「お前の目の動きひとつで、何を考えているか全てわかる。」

「そんなことをしたら、他人に笑われる。」

そのように頻繁に言われるようになりました。

この頃、やっぱり自宅より学校が好きでした。

土曜日は学校がなければいいのに、と言う友達の言葉にびっくりして、

「学校の方が楽しいのにどうしてそんなことを言うのかしら」

と、本気で思っていました。

 

年齢が上がるにつれて、楽しくて仕方がない感覚は薄れました。

見たいテレビが見られず、友達の会話についていけなかったり、

お祭や盆踊りに行かれなかったり、

好きな服装ができなかったり、

学校でもブルーな事が増えたからと思います。

ですから、小学校1、2年生の楽しくて仕方がなかった時代は、貴重な体験です。

 

その後大人になってからも長いこと、生きづらい時代が続きます。

どこかで母の言葉がリフレインして、感じた通りに動けなかったからです。

楽しくて仕方がない感覚が蘇ったことは、

あの貴重な時代の自分を取り戻せたようなものです。

新鮮で活力ある毎日。

とてもありがたいことです。

 

では、どうやって取り戻すことができたのか。

それは、

今どう感じていて、どうしたいのか。

自分の感覚に耳を傾け、

それにそぐわない行動をとらない。

ただそれだけを続けてきただけなんです。

本来誰もが生まれ持っていることです。

だから、誰でもできるんです。

大丈夫。

 

あなたが今日、心から楽しいと感じたことはありますか。

 

 

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