こんばんは。
たまこです。
遅ればせながら、映画「カメラを止めるな」を観ました。
とても笑える映画と聞いていたのに、前半は、私の苦手なゾンビ映画。
血を見るのが得意ではないため、このテイストがラストまで続くのはご勘弁を、と思いながら、時々薄目をあけて観ていました。
途中から、このゾンビ映画を撮影することになった経緯が映し出されます。
この映画、One Cutで、途中カメラを止めることなく、生放送しながら、撮影されるものだったのです。
後半は撮影当日の裏方の様子が、ゾンビ映画の進行とともに詳細にレポートされるのですが、これが面白いのなんのって、半端ないのです。
急な事故で、撮影当日に役者が来なかったり、
アルコール断ちしていた役者が、その日に限って撮影前にお祝いの一升瓶を飲み干してぐでんぐでんだったり。
そんな突発事項をどのように乗り越えて、生放送の映画を無事に撮影できたかが、リアルに描かれています。
目を細めなければ観ていられないほどの怖くて気味が悪い映画が、撮影スタッフや監督などの裏方からの目線で観ると、声をあげて笑わずにはいられないほど可笑しい。
同じ映画なのに、このギャップはなんだろう。
前半の映画がシビアで気味が悪くて怖ければ怖いほど、裏方からの目線で観たときに一層可笑しいのです。
狐に包まれたような感覚です。
目線を変えるだけで、こんなにも見え方が違う。
驚きの発見でした。
日常でも、このようなことはおきています。
私は、失敗して凹むと、長く引きずる嫌な癖があります。
今もそうです。
例えば、タイプミスに気づかずに大切なお客様にメール送付して、仕事柄大問題になってしまった、という新入社員のようなミスをしました。
悪いのは自分ですから、もちろんお詫び状を書いたり、口頭でお詫びを伝えたりするわけですが、これでまた当分仕事の依頼が減るだろうとか、他の関係者にも詫び状を送った方が良いだろうかとか、悩みます。
暫くは、心の中にいやーーな気持ちを抱えて過ごすことになりがちです。
スッキリ切り替えて前進するために、スカッとする何かをしたい。
そんな気持ちで観たのが「カメラを止めるな」でした。
失敗して凹んでいることも、毒親問題も、この映画のように、別な目線で眺めたら、笑いがとまらないくらい滑稽なことなのかもしれないと気づきました。
失敗やつらい局面の最中にいると、目線を変えようという発想が浮かびません。
目線を変えることができたら、楽になれるのに。
視野が広がり、失敗やつらいことも、ちっぽけに思えます。
自分以外の関係者から見たらどのように見えるのか、イマジネーションを働かせることです。
硬直していた思考も、肩の力も、抜けます。
いやあ、「カメラを止めるな」に、大切なことを教わりました。
これほんと、スゴイですよ。
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