毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

毒親育ちの生きづらさの多くは、ウソの教えを守っているから。

こんばんは。

たまこです。

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毒親育ちの方々のツイートを拝見していて、

また一つ、母の言葉を思い出しました。

 

ゴミが落ちている絨毯の上に布団を敷くと、

布団の下からゴミたちが、

早く死ね早く死ね、と言う。

 

小学生の私は、素直に怖いなと思い、

紙屑、糸くずを拾ったり、掃除機をかけたりしていました。

大人になれば、こんなことはウソだとわかります。

しかし小学生にとっては、

それがどんな内容であっても、

母の言葉には「そんなものかな」と思わせる力がありました。

 

母はなぜ、そんな風に言わなければならなかったのか。

推察すると、子供を自分の思い通りに、楽に、すぐに、動かしたかったのでしょう。

死にたくない。

早く死ねなんて言われたら怖い。

その一心で、ゴミを拾う小学生の私。

なんだか健気です。

 

こんなウソをつかずに、

ゴミが落ちていたら拾おうね、では駄目だったのか。

そんなに聞き分けの悪い子供だったのか。

いや、そんな筈はない。

ツライ気持ちを言葉にすることができずに、

悶々としていた幼い私は、

親の言うことを聞く良い子でした。

 

怖がらせたら、子供は確実に言った通りに動くから、

好都合だとでも考えたのでしょうか。

私は、娘にそんな風にウソを言って従わせたことはありません。

絶対にしたくないですね。

ウソで脅さなくても、子供は理解できるからです。

子供を信頼していると、自然にうまくいく。

親が率先して綺麗に片付け、掃除が習慣になっていたら、その背中を見て子供は育ちます。

ウソを言って怖がらせる必要はないのです。

 

母はなぜウソを言わなければならなかったのか。

それは、心のゆとりがなかった、ということなのでしょう。

子供が言うことを聞くように、どんな言葉をかけたら良いかがわからない、

それを考える心のゆとりがない、

そもそも愛情を子供に注ぐことができない、

だからウソで怖がらせるしかなかった、

ということかもしれません。

 

だけどこれは、子供と向き合うことを避けているだけ。

本当の事を、伝わるまで向き合って話す、

態度で示す、など、やり方は色々あった筈です。

母自身の問題を解決していないために、

子供に愛情を注ぐことができない、

だから、その場が楽に過ぎるならば、

その時にかける言葉などどうでも良い。

他人が聞いているわけでもないから、

非難されることもない。

それなら、ウソでもなんでも構わない。

本当のことを伝える術を考える、心のゆとりも愛情もないのだから。

そんな感じなのだろう。

 

布団の下からゴミたちが、

早く死ね早く死ね、と言う。

この程度なら、大人になればウソだと簡単に気づけます。

しかし、そうではないウソもあります。

 

そんなことをしたら、他人に笑われる。

 

大人になっても心のどこかで、笑われること、失敗すること、他人に嫌われることを恐れていました。

新しいこと、初めてのことをする時にはいつも、心のどこかに、無意識に、

 

「そんなことをしたら、他人に笑われる」

 

がリピートされていました。

抜け出すのは大変な時間を要しました。

笑われて何が悪い。

笑われるくらいチャレンジしたということは、

むしろ褒められて然るべきです。

 

毒親のウソの教えほど、人生における大きな障害物はありません。

取り憑かれていたら、さっさと剥ぎとることです。

簡単ではないかもしれないけれど。

時間がかかるかもしれないけれど。

剥ぎ取らないと、あなたらしい豊かな人生を生きることができません。

まずは、ウソの教えに気づくこと。

毒親育ちの生きづらさの原因の多くは、

潜在意識でウソの教えに執着し、守り続けていることなのです。

 

子供はみんな母が好き。

だから、とても難しい作業です。

でも、ウソはウソ。

残念ながら、ウソを信じていても、決して幸せになれません。

勇気をもって、守り続けてきたウソと決別しましょう。

物理的に離れることも必要です。

毒親は、いくつになっても毒を吐き続けますから。

 

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