こんばんは。
たまこです。
「あめふりくまのこ」は、大好きな童謡です。
あめふりくまのこ 鶴見正夫作詞・湯山昭作曲 Bear cub in the rain
内容は、
お山に雨がたくさん降ってきて、小川ができました。
クマの子がかけてきて、魚がいるかな~と、ず~っとみていました。
という、シンプルなものです。
ずーっと見ているクマの子を想像すると、ものすごく可愛くて、子供の頃から大好きなのです。
先日、声の師匠のシークレットライブで、なんと、この「あめふりくまのこ」を、
師匠が歌ってくれたのです。
ピアニストと一緒にイメージを話し合いながら、曲をアレンジしていくプロセスを見せてくださったのですが、
それは素敵な歌とピアノでした。
クマの子が駆けてくるところや、
水がチョロチョロと流れるところ、
さかながどこかにいるのではと胸が高鳴る様子などが、
眼に浮かぶようです。
大好きだったこの曲を思い出すきっかけになりました。
雨が降ってできた小川ですから、魚がいるはずはありません。
それでも、クマの子はずーっと見ているのです。
何にもいないなあと、水をすくって飲んでみます。
どこかにいるような気がして、ずーっと見ています。
雨はなかなか止まなくて、傘でもかぶっていようと頭に葉っぱをのせて、
ずーっとずーっと。
あ、これ私やん。
急にそう気づきました。
クマの子が魚をずーっとずーっと待っていたように、
母が私のためを思って言ってくれた言葉なんだと信じて、
ずーっとずーっと、それを気にして生きてきたこと。
雨にびっしょり濡れたクマの子が、お水をひとくちのんでみたように、
精神的に辛く悶々としていた毎日から抜け出そうと、本やセミナーで学んだ日々。
口に入れたのはそこでの学びです。
クマの子が頭に葉っぱをのせたのは、まだ見続けようとしている意志の証。
「そんなことをしたら笑われるよ。」
「お前の目の動き一つで何を考えているかすべてわかる。」
その言葉が私の頭の上に乗っていました。
親孝行をするのは当たり前、
子供が可愛くない親なんていない。
そんな世間一般に言われる言葉も一緒に乗っていました。
ところでこのクマの子のお話は、完結していません。
この続きはどうなる、ということで、師匠は次のようなストーリーが浮かんだと言いました。
「クマの子がふと気づくと、それはお母さんクマの背中の上でした。
お母さんはどこかで捕まえた魚を口にくわえています。
やっぱりお母さんはすごいなあとクマの子は思いました。」
お母様を尊敬されていることが伝わってくるストーリーです。
温かい家庭で品良くお育ちになったのだなと、改めて感じました。
私なら、こんな感じかな。
「そろそろ帰っていらっしゃ~い。
お母さんクマが迎えに来ました。
おうちでおやつにしましょうね。
おさかないないよ~
そうねえ、今度おさかながたくさんいるところに行ってみましょうか。
うん!いく!
クマの子はお母さんと手をつないでおうちに帰りました。」
どちらのストーリーも、さかなが得られる、または、得るための道筋がみえるものです。
やっぱりさかなは欲しいんだなあ。
クマの子がずーっと待っていたさかなは、私にとっては真実、母の愛。
真実を知り、受け止めることができたら、歩き出せます。
ずーっと待っているクマの子はとても可愛いけれど、
大人になっても待っているようでは、洒落になりません。
ずーっと待っていたら、ずぶ濡れで風邪をひきます。
子供って、素直で純粋無垢で、ずーっと待っているものなのですね。
子供には、何の罪もありません。
大人が、両親が、風邪をひかないように、温かく導いてあげなければいけません。
ここにさかなはいないんだよ、ということを、ストレートな言葉でなく、優しくそれとなく知らせてあげなければ。
そしていつか、さかながいないという事実を受け入れる勇気がうまれたら、クマの子は一歩踏み出すことができますね。
こんどは、大きな川に、行ってみよう。
大きな川で、さかなを捕まえよう。
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