こんばんは。
たまこです。
「おい、孫だぞ。可愛いだろ?」
「べつに。」
この「べつに。」は、ちょっとショッキングなひとことでした。
今でも、かなりクリアに記憶に残っています。
母方の祖母が亡くなった時、葬儀で久しぶりに顔を合わせた母方の叔父と母との会話です。
この叔父は、私たちの結婚式で両親の代わりにバージンロードを歩いてくれた恩人です。
私は当時4歳の愛娘を連れて、祖母の葬儀に出席するため、函館へ飛びました。
何年も会っていない親戚にも、このような場では久しぶりに顔を合わせることが多いです。
私の結婚に反対し、結婚式ににも出席しなかった両親とも、
この時13年ぶりに一瞬顔を合わせました。
私には、「あら、来てたの。」とひとこと。
しばらくして娘をみつけると、
「あら、○○ちゃん?」と話しかけはしたものの、会話は続きません。
この時母は、初めて娘に会ったのです。
結婚してからずっと、我が家とは交流がありませんでしたから。
多くの方から、
「孫の顔を見たら、一瞬で打ち解けられますよ」
と言われていました。
「親子だから、お互いに素直になれず、うまくいかないだけでしょう。
可愛い孫の顔を見せてごらんなさい。
すぐに打ち解けるに決まっていますよ。」
そんなものかな、とどこかで期待していたのですが、
結果はこの通り。
そっけない態度の母を見かねて、母の弟である叔父が声をかけたのです。
「べつに。」
まあ、正直でいいけれど、娘にかわいそうな思いはさせたくない。
そう感じました。
まだ幼かった娘は、その時のことは幸いあまり覚えていません。
見かねた遠い親戚の叔父さんが、帰りの空港で娘に函館の海産物やお菓子など、
好きなものを沢山買ってくれました。
そのご厚意には、今でもとても感謝しています。
どんな人も、それぞれが置かれた環境や事情に向き合いながら、一生懸命生きています。
母もそうなのです。
抱えている課題に気づいていないだけなのです。
「そんなことをしたら、他人に笑われるよ」
「お前の目の動き一つで何を考えているか全てわかる。」
私が、母に言われたこれらの言葉に長年とらわれてしまったように、
母も何かに強く執着していて、課題に向き合う気になれないだけなのです。
課題があることを認めることができないのです。
課題の存在を無視して、無いことにして、
一生懸命生きているのです。
でも、それではうまくいきません。
課題が足を引っ張るからです。
課題を乗り越える道は、自力で切り開くしかありません。
他人に開いてもらうことができるとしても、それは他人の人生を歩むことです。
自分の人生ではありません。
だから本当の幸せは訪れません。
課題に向き合って、自力で道を切り開いていくことが、
幸せへの近道です。
孫がいるのに、可愛いと感じられないなんて、実に悲しい。
子供に恵まれたことは、私の人生の中でもとても大きいです。
今では身長を抜かれ、生意気なことも時々言いますが、良き話し相手です。
子育てをしてみれば、親の気持ちがわかると言われます。
私は逆にわからなくなりました。
産後の入院中、1人ベットで
「生まれてきてくれてありがとう」
と、小さな娘に言ったのを思い出します。
この喜びを共有できないなんて、残念なことです。
孫が生まれた喜びを、娘が結婚する喜びを、感じて欲しかったなぁ。
これは母の問題。
私の問題ではありません。
竹内まりやさんの「いのちの歌」にあるように、
「生まれてきたこと、
育ててもらえたこと、
出逢ったこと、
笑ったこと、
その全てにありがとう」
という気持ちになれたら、それだけで幸せですね。
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