こんばんは。
たまこです。
先週、19歳の娘が夕ご飯をひとりで全部作ってくれました。
中でもレシピを調べて煮たひじきは、なかなかの力作でした。
仕事が終わり次第私が調理すると、どうしても20時をまわってしまいます。
娘のお陰で、19時には夕ご飯にありつく事ができました。
テレビをつけることもなく、
静かなリビングで、
「お味噌汁の濃さが丁度いいね」
「このお豆腐、美味しいね」
「シャケはちょっとしょっぱいところもあるけど、ご飯と一緒に食べると丁度いいね」
「キャベツの千切りも、買って来るより自分でする方が断然美味しいね」
などと話します。
ゆっくり素材の味や食感を感じながら頂く夕ご飯。
落ち着いた、幸せな時間でした。
母とも、こんな会話ができたらなと、ふと思いました。
ともすると、ふわっと過ぎてしまう何でもない日常です。
でも、その日常がとても貴重です。
日常の小さな幸せの積み重ねがあると、
死ぬ時に良い人生だったと思えるのでしょう。
最近、心を鎮めたいとき、瞑想をしています。
呼吸に集中して、一切考えることをしません。
考えない、というのが意外と難しいのですが、
とにかく、息を吸ったり吐いたりすることだけに意識を集中します。
ついつい、今日しなければならない事を考えたり、
誰かとの会話を思い出して考えを巡らせたり、
晩ご飯を何にしようと考えたりしてしまいます。
常日頃、私たちは、考えてばかりいることに気付かされます。
瞑想の後、ふと、何かを思いつく事があります。
先日は、なぜか、
「丁寧に生きよう」
という言葉が降りてきました。
丁寧に。
ご飯をゆっくり味わう事も、丁寧。
道を歩く1歩1歩に、足の裏で大地を感じるのも丁寧。
ちょっとレシピを検索して、計量して料理をするのも丁寧。
小さな丁寧が、幸せに繋がっている。
そんな気がしています。
幸せを感じるのは、解毒が進んでいる証です。
だって、毒親に育てられた幼少期、
心から幸せだなと感じたこと、なかったでしょう。
どんな小さなことでも構いません。
いつもより、ちょっとだけ丁寧にしてみませんか。
幸せだな、嬉しいな、楽しいな。
きっと、そんな風に感じます。
ちょっとだけ、目前のことをいつもより丁寧にすること。
それを、繰り返していけば良いのです。
小さな幸せを、何回も感じれば良いのです。
小さな幸せが蓄積して、いつか、一日中幸せで埋め尽くされる。
そうすると、毒親育ちなんて、もう関係なくなります。
目前のこと、何でも良いのです。
さあ、ほんのちょっと、いつもより丁寧にやってみませんか。
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