こんにちは。
たまこです。
自分の親が毒親だと気づくことは、とても辛いことです。
毒親と口にすることに、罪悪感も湧いてきます。
育ててもらったのに、、、。
産んでもらったのに、、、。
でも、自分の気持ちと向き合う時、どうしてもおさまらないザワザワがありました。
ザワザワを鎮めなければ、先には行かれない。
そう感じました。
10年ほど前、私は研修講師仲間の集まりに参加していました。
そこには、交流分析やゲシュタルト療法のセラピストが沢山いらっしゃいました。
心理学用語が飛び交う会話の中で、当時素人の私は、知らない用語をひとつひとつ質問しながら会話についていきました。
その中に「エンプティチェア」という用語がありました。
すかさず質問すると、次のような答えでした。
「日本語では、空椅子の技法と呼ばれている。
自分が対話したい人物、概念、症状を椅子に座らせて対話を進める方法。」
その瞬間、なぜだか私は目の前の空イスに、母が座っている様子をイメージしました。
それまで母のことを考えていたわけではないのにです。
あまりにも唐突に、その光景がかなりクリアーに目の前に浮かびました。
そして、自分の中にザワザワと心が波立つ感覚がおこり、止まらなくなりました。
これは、何かがある。
そう確信した私は、その場ですぐ、セラピストの方にお願いして、1時間ほどのワークをして頂きました。
通常のワークでは、クライアントとセラピスト(ファシリテーター)以外の方々がオブザーバーとしてワークを見守り、ラストに感じたことをシェアするスタイルで進めます。
しかし、私には初めてのゲシュタルトセラピーでしたから、
流石に他の方が見ているところでこのワークを受けるのは無理だなと感じました。
お願いして、他の方には外して頂きました。
そのワークで何が起きたかはご想像の通りです。
思い浮かんだ情景は、放課後の校庭でフットベースをする私を、垣根の向こうから仁王立ちで睨みつける母。
その時のことを再現して、当時の自分の気持ちに触れ、言いたかったことを母に伝える、と言ったやり取りをしました。
小学校3年生の私には、嫌だなとだけは感じていても、それを言葉にすることはできませんでした。
なんと言って良いのかわからなかったし、言っても伝わらないとあきらめていました。
母に伝えることは、できませんでしたが、心の声はきっとこんな感じでした。
もっと私の話を聴いて欲しい。
やりたい事を自由にさせて欲しい。
もし伝えられたとしても、母にはそれを受け入れる心のゆとりはなかったと思います。
ワークの中では、このように言えなかった過去の気持ちに気づき、母に伝えることができます。
そうやって、区切りをつけることができるのです。
未完了の思いは、そのままにしていると、完了するまで必ずどこかで顔を出します。
ワークを通して、言えなかった感情に気づき、口にして、ようやく完了できるのです。
当時の幼い私に、「頑張ったね」と、声をかけてワークは終了。
自分でもびっくりするくらい、涙が出て止まりませんてました。
私はこの事がきっかけで、ゲシュタルト療法を学び、ファシリテーター養成コースまで修了しました。
セラピストとしての活動はしていませんが、日々様々なシーンで、自分と向き合う際に、また、他者とのコミュニケーションにおいて、とても役立っています。
今、あなたの前に椅子があるとしたら、そこに座っているのは誰ですか。
ご両親のどちらかが座っているとしたら、何と声をかけますか。
あなたに、どんなことを話していますか。
あなたの心に、ざわざわはありますか。
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