毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

自己欺瞞をやめよう。

こんばんは。

たまこです。

 

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自分をだますってどういうこと?  Photo by AC

恥ずかしいのですが、幼少時代、ツライ時は、

アニメ「キャンディキャンディ」を心の支えに、笑顔を作っていました。

友達からこっそり漫画を借りて、母には内緒で完読。

どんなに辛くても笑っているキャンディに自分を重ねて、頑張ろうと思っていました。

無理に笑って、明るく快活なキャラを常に演じていました。

 

キャンディに比べたら、自分には両親がいるから幸せに違いない。

5体満足で、衣食住に困らないのだから幸せなんだ。

そう自分に言い聞かせていました。

今思えば、これは、ただの自己欺瞞ですね。

ツライ気持ちに蓋をして、向き合おうとせず、

無理矢理幸せだと思わせるのです。

本当の自分の気持ちを蔑ろにして、欺いてきたのです。

子供でしたから、そうでもしなければ、毎日耐えられなかったのだと思います。

 

毎日布団に入ると、訳も分からず涙が溢れました。

どうして涙が出るのか、当時はよくわかりませんでした。

ツライという感覚だけがありました。

今思い返すと、思った通りに行動できないことが原因だったのでしょう。

あらゆる行動が、母によって決められていました。

 

好きな服を着たり、

好きな友達と遊んだり、

好きな髪型をしたり、

好きなキャラクターの下敷きやペンを買ったり、

好きな漫画を読んだり、

好きなテレビを観たり、

好きな音楽を聴いたり、

感じた通りに家族と話したり

したかったのです。

 

自分の好みとは関係なく、

母が買ってきた服の中から着なければなりませんでした。

好きではないグレーのブレザーを着せられて、毎日公立の小学校に通いました。

友達から灰色の物体と呼ばれるようになり、仕方がないので、自分でも面白がってそう言っていました。

 

あの子達は品行が悪いからと言って、部活動を勝手にやめさせられました。

このことは以前書きました。

 

放課後校庭で遊んでいると、垣根の向こうに仁王立ちの母がこちらを睨んで立っていました。

習っていたピアノの練習のために、校庭で遊んで帰ることは禁止でした。

 

小学校の頃は、美容院に母がついてきて、ショートカット以外の髪型はできませんでした。

中学時代もドライヤーは使用禁止。

天然パーマの私は束ねる以外の髪型はできませんでした。

 

勉強の邪魔になるからと、他の友達が持っているキャラクターグッズは、買ってもらえませんでした。

 

漫画を読むのは禁止。

お正月のお買い初めの時、なぜか一度だけ許可されて、短編漫画を一冊だけ買いました。

 

テレビを見るのは禁止、許されていたのはサザエさんNHKの連想ゲームだけでした。

 

謡曲は禁止。

なぜかユーミンの守ってあげたいのみ、買って貰えました。

 

感じた通りに話すと、そんな事を言ったら笑われると言われました。

 

兎に角、何かしようとすると大半はダメだと言われました。

自分で好きなものを選択することがほぼ許されなかったのです。

 

そうしているうちに、自ら物事を選択することができなくなっていきました。

常に母の顔色を窺うだけでした。

もっと自由にさせて欲しいと不満を言ったこともありましたが、

母が折れることはありません。

働かざるもの食うべからず。

子供に選択する権利はない、

親の言うとおりにしなさいと。

それが嫌ならうちの子でなくていい、出ていきなさい。

そんな感じでした。

しまいには、私は自分がどうしたいのかすら、わからなくなりました。

黙って我慢することだけを、覚えました。

 

幼い私は、そんな中でも、

5体満足で、衣食住に困らず、両親揃っているのだから幸せなんだ。

自分にそう言い聞かせ、学校では作り笑いをしていました。

笑って〜笑って〜♬

というキャンディキャンディの曲が頭の中に流れます。

そんな風にして、自分を欺いてきたのです。

 

やめたい事をやめられない時、

私たちは自己欺瞞になることがあります。

例えば私の場合、高額セミナーからなかなか抜け出せなかったのは、自己欺瞞のせいです。

どんなに理不尽なことがあっても、先生は自分のためを思って何か意図があってそうしているのだ、勉強は継続してこそ実りがある、などと自分に言い聞かせていました。

違和感を感じている自分の感性を優先していたら、もっと早く抜け出せたはずです。

大金を失わずに済んだはずです。

本当に高すぎる勉強代でした。

 

毒親問題も全く同じことです。

ツライと感じていることは、おかしいことでもなんでもありません。

事実なんです。

自分の感性を信じて、大切にして、どうすれば辛くない状況がつくれるのかを考えれば良かったのです。

ツライ気持ちに向き合わずに、私は幸せなんだ、恵まれている筈だ、と言い聞かせたところで、なんの解決にもなりません。

そんな風に自己欺瞞でいる方が、真正面から問題に向き合うよりも楽だったのでしょう。

 

そう考えると、母も強烈な自己欺瞞です。

解決しなければならない内面の問題があるにもかかわらず、それを無いことにして、自分は「その辺の長屋の娘じゃない」と言い放ち、お育ちの良い家の人間を演じていたからです。

母と祖母の間にも、お育ちが良いとは言い難い確執がありました。

少なくとも私には、そのように見えました。

 

小学生が自己欺瞞に気づいて改め、生活を改善するにはあまりにも幼なすぎ、経済力も説得力もありません。

自力で抜け出すのは、まず無理でしょう。

でも大人になって、このブログを読んでくださっている皆さんなら、気づき、抜け出すことがきっとできます。

子供時代より、色々な意味で力がありますから。

一緒に一歩、前進しましょう。

 

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