こんにちは。
たまこです。
小学校3年生になる時、仙台から東京に引っ越ししました。
私立のカトリックの女子だけの小学校から、
区立の共学の小学校に転校です。
シスターがいて、制服があって、挨拶はごきげんようの世界から、
私服で、男子から名前を呼び捨てにされたり、「おい」とか「おまえ」と呼ばれたりする世界へ。
それはもう大変なカルチャーショックでした。
私立にいた時には、「おい!」なんて友達を呼んだら、
シスターが飛んできて叱られてしまいます。
びっくりするやらおかしいやらで、なかなか興味深い日々でした。
そんな大きな変化があった小学生の頃、
毎年誕生日に電話をくれた友達がいました。
佐々木愛ちゃんです。
私立の小学校で1年生から2年生まで同じクラスで過ごした友達です。
かけっこが早くて、ピアノが上手な小柄な女の子でした。
休み時間に弾いてくれる愛ちゃんのピアノに憧れて、親に懇願してピアノを習わせてもらったのを思い出します。
小学生の私にとって、電話で話すのはなんとなく照れくさいのもありましたが、
なによりもその時の手に汗を握るような緊張感を今も忘れません。
近くに母がいて、私の話すこと全てを聞いていると思うと、何を話せば良いのやらわからなくなったのです。
自分の中から湧き出てくる言葉を口にするのでなく、こういう時にはどんなことを言えば良いのかと頭で必死に考えていました。
こんな事を言ったら叱られるのではないかと、
ビクビクしながら話していました。
当然のことながら、会話が盛り上がるはずもありません。
愛ちゃんのお誕生日にも、私から電話をかけていたように思いますが、
その時も同じように、手に汗を握りました。
毎回、うまく話せない自分に罪悪感があり、
愛ちゃんごめんね、と思っていました。
誕生日の電話は何年か続きましたが、
いつしか自然に無くなりました。
今思うと、大切な友人をなくした気分です。
母を気にせず、心の中にあることを自由に話すことができていたら、
もっと心を交わすことができたはずです。
そうできなかった事を滅茶苦茶悔いています。
誕生日の電話が、もっと続いたかもしれません。
母は、私が電話で口にする事を一言一句逃さず聞いていました。
話の内容が気に入らないと、なぜそんな話をしたのかと、電話を切った後叱られました。
母のことなど気にせず、言いたい事を話せば良かったのです。
でも、小学生の私には出来ませんでした。
叱られるのがイヤだったし、
そもそも自分が何を話したいのかもわからなくなっていたのです。
毒親から解放された今なら、
本当に感じている事を話すことができます。
話したいことが湧いてきます。
愛ちゃんごめんね。
今でもそう思っています。
どこかで再会して、今度は本当のお喋りをしてみたい。
そう願っています。
元気でいるかな。
いつか願いが、叶いますように。
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