こんにちは。
たまこです。
打ち合わせに出かけた帰り道、
どうしてもあるものが食べたくなり、
お気に入りのカフェに直行。
毎年この季節だけの和栗のモンブラン。
甘さは控えめ。
栗の風味が口の中にひろがり、
一気に秋を運んできてくれます。
むき栗を食べた時のような素材の味がします。
栗のペーストが口の中の水分を枯渇させるあの感覚がまたいい。
思わず感嘆の吐息がこぼれます。
たった一口で更に元気になり、来て良かったと心から納得します。
これだけで、秋を満喫した気分です。
なんと幸せな瞬間でしょう。
毒親問題に気づく前の私は、
自分からは、このような嬉しい体験ができませんでした。
こんな贅沢をしてはいけないのではないか、
もっと安くてカジュアルなカフェに行くべきではないか、
と考えてしまうからです。
我慢すべきではないか、と考えていたのです。
でも、気づいてしまったのです。
価格が安いカフェとは、大きく満足度の違いがあることに。
安いカフェで10回ケーキを食べるよりも、
ちょっと高いけど大好きな和栗のモンブランを1回食べる方が幸せだということに。
身体が喜ぶメニューを頂くことの方が、
何倍も豊かで幸せであることに。
価格の安いカフェが悪いのではありません。
時と場合によって、どちらが適切であるかが違うだけです。
元々、用途が異なるのです。
それぞれに良さがあります。
その時々で、どちらを選ぶかです。
以前にも触れましたが、自分が喜ぶことをすることに、どこかで罪悪感がありました。
それは、毒親育ちが背景にあって、自己肯定感が低いからです。
そんな嬉しいことをしていいほどの価値が、
自分にはない。
心のどこかで、そう感じているのです。
たった一口で思わず笑顔になるものを頂く。
幸せと充実感に満たされます。
毒親育ちこそ、こんな体験を重ねて幸せになってほしい、
自分を大事にしてほしい、満たされてほしい、そう思います。
これまでしてこれなかった小さな幸せ体験を、沢山して欲しいのです。
それが、解毒に繋がりますから。
身体も、心も、どんどん満たしていきましょう。
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