こんばんは。
たまこです。
前回、毒親育ちは自分が好きな事をする時に罪悪感があると言うお話をしました。
それは、別な言い方をすると、我慢癖があるという事と同義だと気づきました。
私たちは、我慢する事が美徳、と教わってきました。
例えば、丁稚奉公の世界では、何年も親方の下で下働きををして、下積み生活をやり遂げて初めて一人前です。
何年もの下積み生活に耐えてこそ、立派な職人になれる、立派になるためには我慢は必須。
我慢の先には必ず明るい未来が開ける。
いつの間にか、そんな風に信じて疑わない大人になっているのです。
確かに、下積み生活に耐えることのメリットがないわけではありません。
少しのことではくじけない、メンタルを鍛える事ができるかもしれません。
しかし、我慢し続けたところで、必ず幸せな未来が訪れるとは限りません。
残念ながらそうならないことも、世の中にはたくさんあるのが事実です。
頂上があることがわかっていて、見晴らしの良い景色を見たいから山に登れます。
頂上があるかどうかわからない登山を続けることが出来る人は、なかなかいないでしょう。
↑我慢の闇に、花は咲くのか
本当は、我慢などせずに一人前になれたら、その方がいいに決まっています。
我慢の日々を過ごすうちに、どこかで感じていた辛いとか、不快だとか、悲しいとか、そういったマイナスの感情に気づけなくなるのです。
我慢が当たり前になってしまうのです。
毒親も同じです。
何か新しいこと、初めてのことをしようとすると、
「そんな事をしたら、他人に笑われる」
と言って踏みとどまらせ、それでもしようとすると、
「お前の目の動きひとつで、何を考えているか全てわかる」
そう言って、お前の考えは愚かで浅はかだ、
全てお見通しの親が言うことをきけ、
さもなくば他人に笑われる。
そう言って脅し、やってみたいと感じたことの殆どを、できないようにしたのです。
テレビを観る、
ドライヤーで髪を乾かす、
近所のお祭りに行く、
放課後校庭で遊ぶ、
好きな服を買う、
友人の家に泊まりに行く、
そういった事全て、禁止でした。
そんなことをしていると、勉強に目がいかないと言われていました。
私は学校の先生に言われた通りにしているだけだと。
我慢する価値があるかどうか。
それは、我慢の先に欲しい未来が待っているかどうかで決まります。
相性の悪い上司と働くのはイヤだけれど、数ヶ月先には異動するから我慢して働こう、というのはありです。
毒親はどうでしょう。
幼い頃は、どんなに頑張っても、親元を離れることはできないでしょう。
残酷なことです。
我慢を続けるうちに、自分の感情が分からなくなり、大人になって苦しい思いをします。
抜け出すには大変な時間を要します。
短い人生の大半の時間を、そのために費やさなければならなくなります。
時間ががもったいない。
ですから、小さな不快感を見逃さず、そのままにしないことです。
不快に感じる事があったら、快適にする方法がないか探しましょう。
インターネットで検索したり、SNSで情報収集したり、助けを求めたり、誰かに相談したり、手段は色々あります。
このような習慣をつけておけば、
我慢する人生から解放され、
快適に過ごせる日常が手に入ります。
毒親育ちは特に、我慢しない習慣をつけることが人生の鍵です。
もう一度言います。
不快感はそのままにして我慢する代わりに、
どうしたら快適になるか、その方法を探すこと。
まずは不快感に気づくこと。
気付いたら、我慢しないこと。
快適にできることが、きっと周りに沢山あります。
小さな不快感から始めましょう。
少しずつ、楽しい日常に変わりますよ。
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