毒母 毒親 

毒母の娘たまこのブログ

大人になっても毒母に苦しむ人を助けたい、たまこです。

毒親育ちに響く映画です

こんばんは。

たまこです。

もらえなかったもの、ありますか

新海誠監督の「すずめの戸締り」を観ました。

映画館に2度、足を運びました。

2回観ても、私にはとても響く内容でした。

自分には欠けていること、持っていないと思っていたものを、

実はもう埋め合わせていた、持っていたんだ、と気づかされたからです。

 

毒親育ちの私たちは、子供時代に親からの愛情を得られなかった、とか、

大切な青春時代の時間を無駄にした、とか、

普通なら手に入っているであろうものを持っていない、

自分にはそれらが欠けている、と感じています。

でも、実は、既に持っていたんだ、とやっとわかったのです。

既に持っているというのは、2種類の持ち方があります。

 

①欠けているものを、これまで生きてきた様々な体験から、他のもので埋め合わせできている

または、

毒親には毒親なりに解決すべき問題がある中、精一杯やってくれたのだから、

結果はどうであれ、それで十分だと許すことで、欠如感が喪失できている

 

この2つだと思うのです。

 

主人公は、毒親育ちではありません。

母子家庭のようでしたが、温かい家庭に生まれたのです。

ところが、311の地震による津波で、大好きな母親を幼くして突然亡くすのです。

「お母さんはどこ?」

「お 母さんはどうして私を一人ぼっちにしたの?」

高校生になった主人公には、そんな思いが常に心のどこかにあったのです。

でも、新海誠監督の壮絶なストーリーによって、そんな思いが解け、

そして、

「やっとわかった。 ないと思っていたけれど、もうもらっていたんだ。」

と気づくのです。

 

この映画は、私の解釈では、未完了のことを完了する物語です。 

人は、未完了のことを抱えたままでいると、幸せになれません。

戦争や日々報道される悲しい事件、地球温暖化、貧困など、不幸な出来事が沢山おきています。

地球上のあちこちで、不幸な問題が起きているのは、もしかるすると、 未完了を抱えている人が沢山いるからではないか。

そんな風に感じたのです。

だとすると、私たちが幸せになるには、未完了を完了させる必要があるのです。

ではどうすればよいのか。

私たちは、人の声や、自然や、自分がどのように感じているかに耳を傾け、

自分や他人に寄り添う力があります。

その力をフル活用すればよいのです。

 

「どうして私にはお母さんがいないの?」

という主人公の気持ちは、毒親育ちにも通ずる思いです。

存在としての親は生きているかもしれませんが、

心の通う会話をしたことがないとしたら、いないのと同じですね。

「どうして私にはお母さんがいないの?」

そんな心の穴を、寄り添う力があれば、

これまで生きてきた様々な体験や、出逢った人々、

目にした自然や芸術の美しさなどによって、埋めることができる。

そして埋められていないと思っていたけれど、本当は既に埋められていたんだと気づける。

この映画は、そう教えてくれたのです。

「ないと思っていたけれど、もう、もらっていたんだ。」

そう気づくだけで、私たちは素晴らしい出逢いに恵まれ、幸せに生きられるのです。

 

「いってきます。」

「いってらっしゃい。」

「 ただいま。」

「おかえり。」

そんな日常の何気ない言葉がけができるのは、実はとても幸せなこと。

みなさんのまわりにも、そんな幸せが、きっとありますね。

 

※少しネタバレしていますが、これだけではストーリーはわからないでしょう。

ぜひ観て頂きたいです。

 

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